京都・災害の教訓〈1〉災害は社会の力で防ぐことができる
第1部:河川編
毎年のように全国どこかで災害が発生しているが、今年は台風12号のために奈良・和歌山を中心に多くの方が犠牲になっている。このように連年繰り返される災害ではあるが、それらの様相にはそれぞれに特徴がある。
戦後最大5000人を超える犠牲者を出した伊勢湾台風(1959年)では、被害を拡大した要因に名古屋港の貯木場にあった大量の原木が大暴れしたことがある。京都鴨川では「昭和10年水害」が生々しく記録されているが、これは前年の室戸台風により倒木被害が多く発生し、これらが流木となって橋梁に引っかかり洪水が溢(あふ)れたものである。
今年の台風12号水害では、従来多く見られた「裏山が崩れた」とは様相を異にする被害が多く見られた。「深層崩壊」のために発生した大量の土石流が対岸の高台にまで達し、集落を壊滅させた例や、河道が埋塞したため洪水が道路にまで溢れ、対岸の住宅を襲った災害などが顕著であった。いわば「対岸の火事」にやられたようなもので、従来は安全とみられていた高台などが被害に遭ったのが特徴的である。
洪水や地震などを引き起こす直接の原因は自然現象であるが、それが災害にまで発展するか、あるいはその規模を拡大するかどうかは社会の問題である。地震時に谷を埋めて盛り土した住宅地が崩壊する被災例が多く見られるが、その背景には利潤目的の無謀な宅地開発があり、またそれを許容した行政の存在といった社会の問題がある。したがって、自然現象である地震や洪水の発生は防ぐことができないが、災害は社会の力で防ぐことが可能である。
次号以降、京都を襲った災害から、どのようにして災害を防ぎ軽減するかなど、地形・地質の成り立ちにも触れながら、考えていきたい。(国土研事務局長・中川学)
(「週刊しんぶん京都民報」2011年11月20日付掲載)
*国土問題研究会は、従来の科学技術が「公共」という名目で開発を進める側にだけ奉仕させられ、開発の犠牲となる地域住民のために活用されなかったことへの反省にたって、1959年の伊勢湾台風の被災者救済と災害予防運動からの要請を受けて設立された団体で、来年50周年を迎える。