戦争と平和について学ぶ六人部のつどい 広島に原爆投下された6日、福知山市六人部地域でも平和の鐘つきが行われ、5カ寺で計60人余りが参加しました。その後、来迎院で「第2回戦争と平和について学ぶ六人部のつどい」が行われ、23人が参加しました。主催は「戦争と平和について学ぶ六人部の会」。             
 同「六人部の会」は戦争体験を語り継ごうと昨年8月発足。地元の被爆者の人から聞いた体験をまとめて冊子を作成し、今回も学童疎開の体験や寺院などからの聞き取り、資料をまとめ、記録集として発行する予定にしています。
 つどいでは、来迎院の朝倉義寛住職が「学童疎開と子どもたち」のテーマで、当時小学1年生だった自身の体験と資料をもとに、来迎院で行われた大阪中津南小学校5年生女子22人の学童疎開の様子を話しました。
 先代の住職が応召で寺の運営もままならない中、寺の本堂で大勢の子どもたちがわんわん泣いていたこと、「食べ盛りの子どもたちに腹一杯食べさせてやりたい」と村の人が野菜を届けてくれたこと、配給では足りないので、子どもたちはサワガニやイナゴを捕ったり、リョウブの葉でリョウブ飯にしたりと常に食べることの不安があったことなど話しました。空襲警報時に引率の先生が子どもたちを大きな松の木に隠すようにしながら下校させたことなどのエピソードも話し、「学童疎開は、疎開した人にとっては、思い出したくない一面と自分たちを育ててくれた第2の故郷としての両面がある。どちらにも思いを寄せ二度と悲しい思いをさせてはならない」と結びました。
 交流では、当時疎開していた大阪の佐藤さんの「六人部は優しく、心温まる第2の故郷です。平和を願い、心を新たにし、子・孫へと伝え、戦争のない世の中を」の手紙が紹介されました。また、参加者で当時大阪大空襲を体験した福井さんは「造幣局に勤務していたが、6月には南だけでなく北も焼け野原になった。絶対に戦争をしてはいけない」、東部ニューギニアで父を失った芦田さんは「死亡名は貫通銃創となっていたが、実は栄養失調であった。戦争は2度と日本から起こしてはいけない」「6年女子の疎開先の法林寺では、井戸水が不足しお風呂を沸かす水を川からリレーをして運んだ」などの発言がありました。(山本賢二)