橋下「日本維新の会」の危険〈上〉 (6)大阪方式の公務員攻撃
橋下氏のめざすものと同会の実態について、京都の各団体関係者の危ぐの声を紹介します。
橋下氏は、大阪市職員に対する違憲の「思想調査」をはじめ、公務員の政治的・市民的自由を奪う政治活動制限条例や職員条例を強行してきました。
「全体の奉仕者」を“道具”に
橋下氏や「維新の会」の体質を示すのが、まず最初に手がけた「思想調査」であり、政治活動制限条例や職員条例です。現場の職員が生き生きと働くのではなく、むしろ、脅かして、自分が握った権力の意のままにしようとしています。
小泉政権以来の「構造改革」によって、格差と貧困が広がり、「打開」が求められています。こうした時こそ、多様な意見をまとめて、これを改革のエネルギーにするのが民主主義であり、求められる政治です。ところが、橋下氏や「維新の会」は、まず、市民の生活や雇用の不安、不満をあおり、そのはけ口を公務員や教師に向けさせて、攻撃することが「打開」であるというのです。
戦後、公務員は「天皇の官吏」から「国民の公務員」へ転換しました。日本国憲法は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と宣言し、公務員が主権者国民の一人として、市民・勤労者として、公務に就くことを定めました。しかし、この公務員制度「改革」は、占領下、行政の内外からの民主化を主張した官公労働組合運動を弾圧し、公務員の権利・自由を奪うところから始まりました。そのせめぎあいが現在も続いているのです。
橋下氏が恐れるのは、公務員が市民性や勤労者性を発揮して、住民の立場に立って働き、多くの住民と協同連帯することです。ですから、自分の“道具”として、市長の顔色をうかがいながら仕事をする公務員を求めるのであり、住民の要求・意見を受け止めようとする職員の人間性、市民性を否定し、その思想・信条の自由を平然と侵害するのです。
橋下氏の姿勢や政治は、歴史が築いてきた民主主義を逆行させ、破壊するものです。私たちは、新自由主義的な「改革」に苦しめられています。だからこそ、国民の生活や権利・自由を第一に考え、これを実現する方策を一歩一歩実現させること、そのためには、橋下氏のその場、その場の「人心操作」を辛抱強く批判することが必要だと思います。(「週刊しんぶん京都民報」2012年9月23日付掲載)