大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将が顧問の体罰を受けて自殺した問題や柔道女子代表選手による監督・コーチの暴力・パワハラ告発などスポーツ界での体罰、暴力が社会問題となっています。スポーツ評論家の玉木正之さんに、日本スポーツ界の暴力・体罰体質をどう克服していくかについて聞きました。

スポーツ評論家・玉木正之さん

 唐突ですが、野球で左投手をなぜ「サウスポー」と呼ぶかご存知でしょうか。知らない人が大半だと思います。答えは、野球規則では球場の向きについて、「本塁から投手板を経て二塁へ向かう線は東北東が理想」としていて、左投手の投げる球が南方向から来ることに由来しています。これは午後の西から日差しが打撃の妨げにならないようにするためですが、野球を発端にボクシングやテニス、ゴルフなどでも左利き選手のことをこう呼ぶようになりました。
 何が言いたいかと言うと、スポーツへの理解の問題です。理解とは単にその競技をうまくこなす技術だけを指すものではありません。体罰で主将を自殺に追い込んだ顧問は果たしてバスケのトラベリング(ボールを持って3歩以上動く)がなぜ反則なのかを知っていたでしょうか。辞任した女子柔道の園田監督は、柔道の父・嘉納治五郎が明治時代に柔術をどう柔道に進化させたかを選手たちに説明できたでしょうか。

 そもそもスポーツとは、暴力的な勝負をルール化し、ゲーム化した遊びです。従って、暴力によって権力者が支配する社会ではなく、話し合いで為政者を選ぶ民主主義の発達した古代ギリシャや近代イギリスで真っ先に誕生し、発展しました。ですから、スポーツは本来、一切の暴力を否定し、「殺すな」「傷付けるな」というメッセージを含んだ人類が生んだ偉大な文化なのです。
 スポーツは暴力の否定から生まれたという理解に立てば、体罰や暴力は絶対に許されないはずです。日本のスポーツ界、またスポーツを教育に取り入れたはずの体育で、暴力や体罰が横行するのは「スポーツとは何か」という本質を理解していないからにほかなりません。

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 柔道に話を戻すと、源流である柔術は武士が刀・槍を持たずに闘う時の武術であり、相手を死に至らしめるものでした。例えば「大外刈り」という投げ技はもともと、太ももの急所をかかとで蹴って失神させ、相手を後頭部から落とす技でした。これを、柔道ではかかとで蹴ることを禁止し、足を掛けて相手を背中から倒す技に変えました。柔術から殺人に通じる行為を排除し、柔道というスポーツにしたのです。

 同時に嘉納は、柔道で重要なけいことして形(かた)、乱取り、講義、問答の4つを挙げました。「講義」と「問答」は文字通り、言葉と対話で柔道の技を磨き、進歩させることです。結局、告発された監督・コーチは、講義と問答はまったくできていなかったのでしょう。
 体罰で鍛えられた人が指導者となった時に体罰を肯定してしまうのはある意味で自然です。体罰の否定は自己否定につながるから。でも、客観的にスポーツとは何かを理解すれば分かるはずです。つらくても乗り越えてほしい。

 スポーツは突き詰めれば理屈だし、科学です。だから、「つべこべ言わんとやれ」というのが一番非スポーツ的。そこで、「なぜ?」と問い直すことがスポーツの理解へ至る出発点です。ヒントは、嘉納が講義、問答を挙げたように言葉の力をどれだけ発揮できるかにあるのではないでしょうか。日本のスポーツは近代以前の状態です。今回の一連の事件や問題をきっかけに、スポーツ界からの暴力の一掃、真のスポーツ理解から「反暴力」のメッセージを広めることが必要です。(「週刊しんぶん京都民報」2013年3月10日付掲載)

 たまき・まさゆき 1952年、京都市生まれ。東京大学を経て、スポーツ評論家、音楽評論家。主な著書に、『スポーツとは何か』(講談社現代新書)、『スポーツ解体新書』( 朝日文庫)など。