龍谷大学政策学部教授 奥野恒久

 日本国憲法は、アジア・太平洋戦争での加害と被害の体験に対する深い反省に基づいて制定された。憲法前文では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と「信頼の原則」に立脚することを謳うたっている。そして憲法9条1項にて、戦争と武力による威嚇・武力の行使の放棄を、2項にて戦力の不保持と交戦権の否認を宣言する。対外的には他国を攻める意思がないことを示すとともに、他国もそのような意思がないと信じることを示すものであり、対内的には1945年以前の軍事最優先の社会から、自由を中心とする個人の尊重に価値をおく社会へと転換をはかったのである。

一大争点として浮上した集団的自衛権

 2012年12月の衆議院総選挙にて、当選した議員の78%が「集団的自衛権の行使を認めていない政府の憲法解釈を見直すべき」と応え(「毎日新聞」2012年12月18日付)、「集団的自衛権行使の見直し」を「大きな方針の一つ」とする安倍政権が誕生した。集団的自衛権問題が一大争点としてまたもや浮上してきだが、その下準備は民主党政権下でも着々と進んでいた。2012年7月6日には、政府の諮問機関である国家戦略会議(野田佳彦議長)フロンティア分科会が集団的自衛権の行使に向けて憲法解釈を変更することを求める報告書を提出したし、ちょうど同じ日に、自民党総務会は集団的自衛権の行使を規定した「国家安全保障基本法案」を承認している。

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自衛権についての政府見解

 周知の通り、集団的自衛権は、国連憲章51条にて個別的自衛権と併せて規定されている。自国が武力攻撃を受けた場合にそれを撃退する権利である個別的自衛権と異なり、集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」と定義されている(1985年9月27日、政府答弁書)。では、憲法9条のもとで、政府はどう解してきたのか。政府は、自衛隊の発足当初から「自衛のための必要最小限度の実力」をもつことは9条に違反せず、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であって、「戦力」でないとした。そのうえで、自衛のための実力行使については、(1)わが国に対する急迫不正の侵害があること、(2)これを排除するために他の適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、という3要件に該当する場合に限られるとした。それゆえ政府は、「我わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」としたのである(1985年9月27日、政府答弁書)。
 このような政府見解は、「軍事力を正当化するという主たる役割と、軍事力に制約を課すという従たる役割」を果たしているため、1980年代まで護憲派から批判されていたのが、1990年代以降は改憲派から批判されるようになる(浦田一郎「政府の平和主義解釈とその変更」日本科学者会議編『憲法と現実政治』)。私見は政府の9条解釈を支持するものではない。しかしそれは、政府自らが法的論理にもとづいて確立した憲法上の制約であるため、簡単に変更できるものではないはずである。

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国家安全保障基本法と明文改憲

 それを「数の力」で強引に変更しようというのが、国会での国家安全保障基本法制定の動きである。だが、現在の国会状況を見ると、その実現性は相当高い。憲法上の制約を政治的多数が突破するという、立憲政治の死滅すら招きかねない事態である。そうなるともはや、先の3要件など何の意味も持たないであろう。
 そのことは、何を帰結するのだろうか。集団的自衛権行使に舵かじを切るならば、「自国と密接な関係にある外国」、すなわちアメリカへの武力攻撃を阻止するため、日本は武力を行使することになる。常に世界中で軍事活動を行っているアメリカにつき合うことになり、日本も海外で日常的に戦争をする国、戦死者を出す国になるであろう。だが、日本国憲法のもとでは、例えばかつての靖国のように戦死者を国家として追悼いや顕彰したくても、あるいは国家が「戦争反対」の市民活動を抑止したくても、それはできない。集団的自衛権行使とともに憲法の全面的改定が目論まれるのは、個人の尊重から、軍事あるいは国家優先の社会へと再び価値を転換させる必要があるからである。そしてこの価値反転は、日本企業の「国際競争力強化」という財界の願望とも一定程度合致する。
 憲法とは、国民が定めるものである。「国防軍」保持への改憲は、国民が「軍」をもつ社会を是認することであり、その意味合いは自衛隊からの名称変更といった生易しいものでは断じてない。ここは、政府の9条解釈を味方にしてでも、声をあげるべきときである。(「週刊しんぶん京都民報」2013年2月17日付掲載)