1953年8月に発生した「南山城大水害」の際、国鉄(現・JR)玉水駅ホームに流れ着いた巨石が、同駅の建て替え工事にともない撤去される可能性が浮上しています。住民らは“水害遺産”の巨石の保存を求めて運動しています。

■戦後府内最大の水害、井手町で108人が犠牲に

 「南山城大水害」は8月14日夜から15日未明にかけての集中豪雨。戦後府内最大の水害で、最も被害が大きかったのが井手町です。山間部の大正池が決壊し、玉川も決壊。107人が死亡、1人が行方不明に。玉水駅も流失。巨石はその際に、上流から押し流されてきたもので、惨事を今に伝える「遺産」です。駅改修後も同地に保存され、1981年には横に、「水難記念」の石碑が建立されました。

 駅の建て替え工事は、橋上化にともなうものです。JR西日本側は、建て替え後、巨石の位置に階段を設置する計画図面を住民に提示。巨石・石碑を撤去する予定でした。

■保存求める署名に300人賛同

 計画を知った住民らは町とJR側に保存を要望。「玉水駅の水害記念石を保存する有志」は5月24日、巨石と記念碑の保存を求める要望書を井手町長宛に提出。賛同署名約300人分を集めています(6月5日現在)。これらを受けてJR西日本京都建築工事所長は「現在、保存も視野に入れて、町と協議中」と話しています。

 6月4日には、今まで巨石を保存してきた玉水駅に感謝するとともに、現状を写真に収めようと住民約10人が、巨石・石碑周辺の清掃を行ないました。

 清掃の参加者は「107人が命を失い、多くの人が財産を失ったことを子どもたちに継承するためにも、井手の災害の歴史を物語る石を残して欲しい」などと語りました。

■災害の記憶風化させてはいけない/国土問題研究所副理事長・中川学さんの話

 巨石は、28年水害の記憶を風化させないためのモニュメントとして残されているものです。JR当局は駅改築の妨げになるとして、撤去しようとしていますが、水害の記憶と教訓を後世に伝えることに反するもので、許されるものではありません。
 1995年1月の阪神・淡路大震災では、「震災記念館」が残され、2011年3月の東日本大震災でも多くのモニュメントが残されています。玉水駅構内に巨石を残すことに費用はかかりません。ぜひ残すべきです。

(写真上=巨石・石碑(右)の清掃作業に参加した住民ら、写真下=JR玉水駅構内にある巨石と「水難記念」の石碑

(「週刊京都民報」6月11日付より)