平和希求する世界と日本の運動が生んだ“宝物” INMPジェネラル・コーディネーター、国際平和博物館会議組織委員会事務局長 安斎育郎・立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長に聞く
第10回国際平和博物館会議開催の意義などについて、INMPジェネラル・コーディネーターで、同会議組織委員会事務局長の安斎育郎・立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長に聞きました。
─戦後75年、被爆75年、新型コロナウイルス流行下という歴史的な状況下での開催ですね
戦争体験者、被爆者が次々と亡くなっていっています。戦争や被爆を社会的記憶として残す平和博物館および平和博物館運動の重要性は高まっています。そこで今回の会議のメーンテーマを「次世代への記憶の継承における平和博物館の役割」としました。
世界的な新型コロナウイルスの大流行を受けて、オンライン会議として開催することにしました。館長や学芸員、若者のパネルディスカッションなどを予定し、約100人からビデオメッセージによる発言が寄せられるなど、これまでの会議と遜色のない内容になっています。
デジタル技術で「発信型」に変革
「災い転じて福となす」ということわざがありますが、オンライン会議にすることで誰もが経済的負担なく気軽に自宅から参加できるようになった点は評価できると思います。映像で送られることで、発言だけではわからない部分も理解できる良さも発見しました。
平和博物館の新たな姿も模索されています。博物館は名前の通り、物が所蔵され、物にまつわる物語を伝える場です。現場に来て見てもらうのが従来の一般的な姿です。ところが、来てもらえなくなるなかで、物や物語をデジタル化し、発信する取り組みが各地で始められているのです。
技術の発展で、デジタル情報でも実物の実態を理解する素材に十分なりうる時代です。博物館が待ち受け型からデジタル技術を積極的に活用する情報発信型の施設への自己変革を迫られています。
また、デジタル化に若者が気軽に協力し、手伝うなかで取り組みを理解する経験も報告されています。新たな担い手が生まれる可能性が広がっています。
―日本で開催される意義、日本の役割は
傷跡も遺品も全国に百施設
あまり知られてないのですが、日本ほど多くの平和のための博物館がある国はありません。また、日本は世界で唯一、平和博物館運動がある国です。世界の平和博物館運動の重要な柱になっています。日本を拠点にした会議開催は、日本の未来を考える上でも意義があります。
なぜ、博物館の数が多いのか。日本は国をあげて戦争をし、全国から兵士を送り出したため各地に遺品があり、全国で空襲を経験したから被害の傷跡も各地にあるからです。
また、国際的な軍縮運動とも呼応しています。1970年代、非同盟諸国の運動が高揚し、軍縮問題を専議する第1回国連軍縮特別総会が78年に開かれます。この成功に向け、分裂していた日本の核兵器廃絶運動をのりこえて署名を集め、大挙してNGОを送ることになりました。この中で市民団体も平和運動に戻ってきました。
その運動の延長で、80年代、平和のための戦争展が取り組まれ、遺品を収蔵する博物館が各地で作られました。関連施設は100近くにもなります。
立命館大学国際平和ミュージアムも、京都の平和のための戦争展運動と大学の平和と民主主主義の理念が合わさって1992年に設立されました。同年、第1回世界平和博物館会議が英国で開催されてINMPの源流となり、今は事務局が立命館大学国際平和ミュージアムに置かれています。
歴史をふりかえるならば、日本各地の平和博物館は憲法9条同様、平和を希求する世界と日本の市民の運動が呼応して生まれた宝物といえるものです。
コロナ禍で、戦争や暴力、地球環境の破壊、水や食糧の問題など人々の生命を脅かすものがない平和の実現の必要性が再認識されました。一刻も早く、平和な世界を実現するため、憲法9条を持ち、唯一の被爆国である日本の国民と政府にとって、平和のための社会教育の拠点としての平和博物館の役割は大きいというべきでしょう。