山宣墓前祭で追悼の言葉を述べる日本共産党府委員会の地坂書記長(3月5日、宇治市・善法墓地)

 戦前、治安維持法と日本の侵略戦争に反対した代議士で、右翼に刺殺された山本宣治(山宣)の命日である3月5日、「第92回山宣墓前祭」(同実行委員会主催)が宇治市の善法墓地で開かれ、雨の中200人が参加しました。

 生物学者・性科学者でもあった宇治市出身の「山宣」は、1928年の第1回普通選挙で労農党から当選。帝国議会で治安維持法に反対を貫く中で、29年3月5日、39歳で右翼に暗殺されました。

 墓前祭では本庄豊実行委員長があいさつ。戦前の家父長制の時代にジェンダー平等を主張し、治安維持法反対で議会の内外で共同を作ったことは、現代において新たに注目されていると指摘。「総選挙のある今年、山宣のように市民的共同の可能性を信じて歩んでいきたい」と述べました。

 新社会党府本部の池内光宏委員長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟府本部の佐藤和夫副会長、年金者組合府本部の山本和夫委員長、民青同盟府委員会の寺島拓人委員長など、各党、団体が弔辞を読み上げ、献花しました。日本共産党府委員会の地坂拓晃書記長(衆院京都2区候補)が、「来たるべき総選挙ですべての野党が結集し、力を合わせて新しい政権をつくるため、力を尽くしたい」と決意を語りました。

 また、参加者を代表して、昨年12月の宇治市長選挙で健闘した長廻千春さんが、コロナ危機の下で社会や政治のあり方が問われていると述べ、総選挙で市民と野党の共闘を前進させ、政権交代実現へ全力を尽くしたいと誓いの言葉を述べました。

 山本家を代表して、山宣の孫にあたる山本勇治さん(九条診療所所長・医師)があいさつしました。

 立憲民主党国会対策委員会からメッセージ(下記の全文掲載)が寄せられました。

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政権交代実現しなければ

山本宣治先生の御命日を迎えて

 山本宣治先生の御命日に際し、立憲民主党国会対策委員会を代表して改めて哀悼の言葉を申し上げます。

 戦前の圧政によって、言論の自由や大衆運動が厳しく制限をされる中で、庶民とともに歩み、その声を国政に届けようとした山本先生は、暴漢に襲われ享年三十九歳の生涯を閉じられました。その後の日本は、日米戦争へと突き進み、三百八十万人に及ぶ尊い犠牲を払い、すべてを失うことになりました。

 山本先生は、我が国の行く末を案じ、昭和初期の日本社会のあり方に常に警鐘を鳴らしてきました。山本先生のDNAは今、脈々と日本共産党に受け継がれております。残念ながら、戦後の我が国の政治情勢は自民党の一党支配が事実上固定化し、大衆の声なき声が届かない、もどかしい政治状況が続いています。

 いまこそ、野党と市民が結集し、山本先生が望んでいた大衆のための政治、貧しきものや決して省みられることのない人に光を当てるための政治を実現するため、政権交代を実現しなければなりません。

 本日、山本先生の御命日にあたり、改めて御冥福をお祈りするとともに、「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから」この先生の厳冬に凛として立ち上がる姿に思いをおこし、自らを奮い立たせて大衆のために闘うことをお誓い申し上げます。

 二〇二一年三月五日

            立憲民主党 国会対策委員会

            委員長    安住  淳

            委員長代行  原口 一博

            筆頭副委員長 山井 和則

            委員長代理  武内 則男

            同      黒岩 宇洋

            同      奥野総一郎

            同      広田  一

            同      吉川  元