丹後で結ぶ一期一会の祭 全作オリジナル演奏会「海の聲 ほろびても滅びえぬもの」 作曲家・平野一郎さんに聞く/3月19日、宮津会館
老朽化などを理由に今月末で閉鎖される予定の宮津会館(宮津市)で3月19日、故郷での初となる全作オリジナルの演奏会「海の聲(こゑ) ほろびても滅びえぬもの」を開く、宮津市出身の作曲家・平野一郎さんに、演奏会に込める思いを聞きました。
生のクラシック音楽との出会い、10歳から始めたピアノの発表会など、同館は“音楽家・平野一郎”を育んだ場でもありました。海に面して建ち、優れた音響を誇る親しみやすくも格調高い文化的空間。「いつか自作曲のみの演奏会を開きたい」と考えて来ました。昨年7月に閉館方針を知り、念願しながら一度も実現できていないことを恥じ、「今しかない」と急きょ開催を決めました。
風土に根差した音楽つくろうと
外国の真似(まね)事ではなく、本当の意味で日本や丹後の風土に根差した響きを放つ音楽を求めて、祭や伝承音楽の踏査を通し、考え抜いた先に自ずと閃(ひらめ)き現れる世界を作品にしてきた平野さん。
宮津の地と同館に育てられた作曲家として何をすべきか、「課せられた宿題に応える」という思いで臨み、プログラムを海と丹後にまつわる作品で構成しました。
「ウラノマレビト」は、京都市立芸術大学の学生だった1997年から伊根町・宇良(うら・浦嶋)神社延年祭と同社に伝わる浦嶋伝説に夢中になり、出会いから6年越しで完成したもの。丹後を題材にした初めての作品です。
伊勢神宮外宮にまつる豊受大神(とようけのおおかみ)を478年、丹後から迎えたと伝え、「日本書記」は浦嶋子(太郎)が奇しくも同年月に海の彼方へ出発したと記します。平野さんは、「浦嶋伝説は単なるおとぎ話ではなく、丹波国が大和朝廷に服属する過程で、心ならずも故郷を離れた人々、真実に口をつぐみ生き延びた人々の存在など、様々な想像を導きます。こうした事は、敗者の意識など、丹後独特の精神風土に少なからず影響したのでは」と語ります。
「りゅうのこもりうた」は、経ヶ岬の龍伝説と、米軍のレーダー基地が建設された穴文殊の現在の姿が触発した曲。97年日本海沖でのナホトカ号・重油流出事故の折、居ても立ってもいられず重油撤去のボランティアに参加し、作業をともにしたある住民から「いつか“丹後の歌”を作ってください」と声をかけられたことへの約束が初めて果たせたと感じた曲でもあります。
「ねむれよねむれ」とのどかに始まり「いくさのきざしをしらずに」「いてぁあ(痛い)となげかず」「のろわず」「うらまず」と反語的な歌詞がじわじわと激しさを増す様子は、なかなか本音を表に出さない丹後人の気質とも重なります。
「怒れる海民の夜」は、丹後半島北端の浦々の秋祭りの宵宮で出会った太鼓のリズムに基づくもの。母国の独立と復興を志したハンガリーの作曲家バルトークの「野蛮なアレグロ」へのオマージュでもあります。
公演の副題「ほろびても滅びえぬもの」は、フィナーレを飾る「天かける橋」(宮津天橋高校委嘱作品)の歌詞から。地震と津波で水底に沈んだと言う汎海郷(おおしあまのさと)水没伝説をはじめ、丹後の伝説や歴史の光と影、そのあわいに宿る不屈の精神を呼び起こそうと選んだ言葉です。
平野さんは、公演の最後に使いたいものがあります。宮津会館の緞帳(どんちょう)。丹後ちりめんのつづれ織りで、先祖の魂を精霊船と追っかけ灯籠に乗せ海に送る夏の伝統行事、宮津灯籠流しの風景が描かれているものです。「演奏会は、もうひとつの祭。連綿と受け継がれた丹後の文化、そして宮津会館が私に伝えてくれた広い世界の文化との結び目、過去と未来の結び目となることを願っています」
18時(17時開場)。3500円(前売り3000円)。問い合わせ℡0772・20・3390(みやづ歴史の館)、℡0772・22・1246(作曲家平野一郎朋の会)。同館ホワイエで15日~19日午前9時~17時(19日は17時~21時)、宮津市在住の画家・福岡清さんが丹後の海を描いた絵画展を開催。