「命どぅ宝」を今こそ 沖縄との架け橋となって411年 檀王法林寺・信ケ原雅文住職に聞く
檀王法林寺(だんのうほうりんじ/左京区、浄土宗)は、琉球国の尚寧(しょうねい)王とご縁を結んだ袋中上人(たいちゅうしょうにん)の開祖から411年。27代目の信ヶ原雅文住職は、復帰50年を迎えた沖縄県から今年3月に「美(ちゅ)ら島沖縄大使」に任命されました。沖縄との縁はさらに深まっています。
沖縄復帰50年に、ロシアによるウクライナ侵略という戦争が起きたことにがく然とします。戦争ではなく、何よりも命が大事だと身をもって伝えたのが上人に導かれて帰依した琉球国の尚寧王でした。豊臣秀吉による朝鮮出兵で、中国を目指した上人が足止めとなったことがきっかけで交流が深まり、尚寧王が寺を建立しました。1609年の薩摩からの侵攻、明(中国)との交易中止という板挟みで悩んでいた国王は上人の教えを思い、日本の人質となることで、民の命を何より大事にしたいと決心されたようです。
「命どぅ宝(ぬちどぅたから=命こそ宝)」。琉球最後の国王、尚泰王が残したこの言葉は、沖縄の非暴力での抵抗運動の思想でもあると思います。
1935年に先々代が沖縄へ布教調査に行き、袋中上人ゆかりの鐘が現存していることが分かり、その地に「檀王法林寺沖縄別院」を建立しました。しかし、沖縄戦で丸焼けとなり、浄土宗の袋中寺として復興されたのは50年前です。戦中は沖縄から同寺へ疎開していた信徒もおられました。
住職になって25年、沖縄とのつながりをもっと広く深めたいと15年前に「沖縄ファンクラブ」を作りました。沖縄県人会の方たちと始めたのが沖縄をアピールする「沖縄フェスタin京都」と慰霊を込めた「ピースフルコンサート」で、15回目になります。エイサー踊りは、袋中上人が沖縄で伝えた念仏踊りに由来があると聞き、沖縄の方たちを招き、三線や民族舞踊も披露していただきいています。同寺で三線教室も開き、演奏会も開くまでになりました。
「エイサーと言えば檀王さん」と、沖縄へ修学旅行に行く中高生が訪ねてきます。沖縄と京都を結ぶ架け橋となって、今後も平和を語り広げたいと思います。
【追記】2022年5月20日午後0時に一部訂正しました