龍谷大平安高硬式野球部創部100周年記念試合観戦記(9)芳村智裕
グラウンド整備が行われている間にさっと話を聞く人を見つけられたらいいのだが、そう簡単にはいかない。ファン2人の次に聞かなければいけないのはもちろん平安野球部のOBだからだ。しかも、できれば70歳前後くらいの人に聞きたい。そうすれば、60~70年代平安の全盛期を知っていてくれるだろう。そして、もしかしたら全国優勝した時代も知っていてくれるかもしれない。
試合前から一塁側に法被に鉢巻きの姿に両手で扇子を振るおじいさんがいたが、あまりの堂々とした振る舞いに声を掛けるのを躊躇してしまった。平安のOBは気難しいのではないだろうか、というのが勝手な思い込みだった。スタンドを行ったり来たりして時間が過ぎていく。考え込んでいる暇もないので、中段に座る平安の帽子を被ったできるだけ優しそうな人に声を掛けてみた。バックネット裏で聞いてきたこと、そのことをそのままに、聞くつもりで。
中でも疑問に思っているのはそれでも「松山商は本当にライバルなのですか」ということだった。
「四国と言えば松山商、京都と言えば平安。お互い伝統校同士」という言葉で始まった。
平安OBである70代前後のおじいさんの認識もまた、バックネット裏で聞いた話と一致していた。しかし、理由が違った。
「礼儀作法の正しさやけじめ、気遣いの考え方がお互い似ている。そして、そういった人間関係の上で大事な事柄の認識が長年野球部の中で浸透しているのだ」。平安OBの目から見るのと私たちが日常的に平安を見るのとでは差があった。一般の野球ファンは試合を観戦して一喜一憂するに過ぎないし、深い部分というのはあまり知りえないところでもある。しかし、OBの目からすれば辛かった練習や嬉しかった思い出も含めた母校に対する内的な見方ができる。そういう風にとらえるとファンは平安を外的にとらえるしかない部分があると気づいた。70代の平安OBという立場は内的でもあるが、それから数十年が経過していることが外的でもあると思う。その立場から多いに語ってもらうことになった。(つづく)