龍谷大平安高硬式野球部創部100周年記念試合観戦記(11)芳村智裕
今の龍谷大平安についても尋ねた。「冬から春に足腰を鍛えて、夏に生かしてほしい」と言う。「苦しんだら苦しんだだけ力がつく。高校時代とはそんなもの」と数十年にわたり色んな時代の平安を観てきた結果、そういうことが実感として言えるのだと思った。
なんと自身は昭和31年に夏の全国制覇の経験があり、隣に座るのは当時のキャプテンとショートだと明かしてくれた。「控えだった」というOB会の理事長は「今夜は100周年の学校主催のイベントがあって平安出身のプロ野球選手が来ると聞いている」と楽しそうだった。
「チーム内だけでは選手を育てることは難しい。色んな選手がいる。そういう時に練習試合でも伝統校同士で対戦する。すると、不思議なことに選手が今までの態度を変える、ということがある」。
ふと気がついた。これには気づけなかった。なるほど、共通点の多くないチームから何かを学ぶよりも、同じ古豪や伝統校同士の対戦なら影響を受けやすい。それはお互いにとって計り知れないもの。その話はうなずけた。価値観が同じ、もしくは近い者同士が接近することで、いい意味での刺激や共感を得られる。「社会に出たときに必ず役に立つ」のは態度や取り組み方のことをいうのだろう。あいさつや礼儀作法、けじめ、気遣い。“平安らしさ”をいくら伝えようとしても伝わり切らないものがあるのではないか。今の難しさやこれからの課題が感じられた。
全国的に知名度の高い平安であれば、相手が刺激を受けたとしても自らが刺激を受けることが少ない。新興勢力では、それを解消することに不十分なのだろうか。そこに平安の孤独というのも感じられた。松山商でないといけない理由がわかった。
「今の高校生と当時では違いますか」と質問してみると、「当時も今も変わらない」と言う。「練習で苦しんできたほど、多く練習した方が強くなり勝つ」。反面、「負けたら練習の量が少なかったと知る」。当時も今も変わらないのだろう。
OB会の理事長は「当時、グラウンドは平安の中にあったから3分で準備できた。その分練習もたっぷりあった」と今や亀岡市にある練習場を誇らしく、またうらやましそうに言う。
「昔は木のバットでボールが飛ばなかった。外野手は今よりもっと前を守っていた」と当時を思い出しながら、グラウンドに視線を向けて話した。「スパイクやグローブも高価だった」と話すのを聞いていると、なんだか目の前の風景がモノクロに見えた気がしたのが不思議だ。
「昔は腰から下を鍛えたが、今は上半身のパワーアップが必要」と今の高校野球が変化してきているところと、「泳いだら肩を冷やすので泳がなかった」「ウサギ跳びをどんどんやった」と昔常識とされていて今はもう非常識な話をいくつか披露してくれた。なかでも東山区の女子校近くに階段があって「何往復もした」という話は、男子校ならではのエピソードなのか、「今はもうしていない」そうだ。どれくらい前から行われなくなったかを想像するのは楽しい。(つづく)