加藤周一さんの「遺言」みんなの力で実現を
戦後日本を代表する知識人で、「九条の会」の呼びかけ人の1人として憲法を守る運動の先頭に立ち、昨年12月に89歳で亡くなった評論家の加藤周一さんの遺志を受け継ごうと、フォーラム「私たちにとっての加藤周一」(同実行委員会主催)が20日、京都市中京区の立命館大学朱雀キャンパスで開かれ、360人が参加しました。
実行委員長の安齋育郎・立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長が、「加藤さんの奥深さに魅了された人も、珠玉のエッセイに心洗われた人も、盃を酌み交わした人も今日は豊かな時間を共有したい」とあいさつ。
中国文学者の一海知義・神戸大学名誉教授と宗教学者の山折哲雄・国際日本文化研究センター名誉教授が基調講演。一海さんは、加藤さんとの接点から言葉、漢詩漢文、漢詩人としての河上肇、平和の4つのエピソードを紹介し、「受け継ぐべきことの中心は平和ではないか。みんなが力合わせて加藤さんの遺言を実現させよう」と呼びかけました。社会学者の日高六郎さんの「加藤周一さんの平和論文を直に聞いた時の感動が忘れられません」、哲学者の鶴見俊輔さんの「国家と結んだ科学は100万、1000万の人を一挙に殺し、常に脅し続けることができます。これにたいして『九条の会』をつくった。『九条の会』をつくって続けることに彼の生命をかけた。ここに彼の成熟があった」とそれぞれメッセージが紹介されました。
パネルディスカッションでは、司会の君島東彦・立命館大学国際関係学部教授が、日本が真珠湾攻撃を仕掛けた12月8日のことを記した『羊の歌』を授業で毎年紹介しているとのべ、「私にとってヒーローであり北極星でした」と話し、出演番組のディレクターを務めたNHK放送文化研究所研究主幹の桜井均さんは、加藤さんが憲法を守る学生と老人の同盟を呼びかけたことについて、「抽象的に言ったのではなく、国民投票法が成立する下、国民の2分の1をどうとるかリアルな計算に基づいていた。具体的な政治日程の中で明瞭なメッセージを発していた」と振り返りました。
最後に夫人の矢島翠さんが、「京都や大阪、西日本で確認した土地に根付いた人々のまじわり、コミュニティの感覚が『九条の会』の運動の進め方にも影響を与えた」と回想しました。