平和のための戦争展 4日から始まった「第29回平和のための京都の戦争展」(同実行委員会)で第1日目に平和遺族会による「インドネシア・ビアク島の遺骨収集に参加して」のパネル・講演と治安維持法国家賠償要求同盟京都府本部の近江谷昭二郎さんの「靖国派のニューリーダー田母神発言を切る」と題する講演がありました。
 遺骨収集の会場には約70人が参加。遺骨収集団の約50点のパネル写真に見入り、NPO法人太平洋戦史館理事の野々口義之さんが「インドネシア・ビアク島の遺骨収集に参加して」、京都平和遺族会の吉原光江さんが「16年前、娘たちと訪ねたビアク島」と題して話しました。
 野々口さんは父、義雄さんがビアク島に出征したものの、僅か半年後に戦病死との報告。京都駅から出征する兵士の隊列の中に父の背後を見つけ、左腰に水筒、右腰には巻かれたロープがあるのをはっきりと覚えていたといいます。その水筒が戦後64年にして野々口さんら遺族の元にかえってきた経緯を水筒をかざしながら語りました。(写真)
 また、吉原さんは「父が結婚して3カ月目に戦争へ行って、戻ることなく戦死。私はその時母のお腹にいました。だから、父の思い出は薄かったです。でも16年前に現地へ行きました。こんなきれいな所でこんなにも遠いところまで父は来たんだなぁと思いました。こんなジャングルの中で餓えてそして戦病死したのはさぞ悔しかったのでは、と思います」と語り、戦争の悲惨さ平和の大切さを訴えました。(仲野良典)