英人捕虜の日記もとに孫が講演
第2次大戦で日本軍捕虜となり、泰緬鉄道※(タイーミャンマー間)建設に駆り出された元イギリス兵の日記を日本語訳にして出版した孫が7日、立命館大学国際平和ミュージアム(京都市北区)で講演し、「過去から学び、よりよい未来をつくろう」と呼びかけました。「第30回平和のための戦争展」の企画の1つで、「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」が主催。
講演したのは徳島文理大学客員講師のディビット・モートンさん。祖父の死後20年経った03年、遺品の中から日記を見つけ、09年に日本語訳で出版しました。日記は、A6判ほどの大きさ、10数㌻ほどの薄い手帳3冊に小さな字でびっしりと捕虜時代(42~45年)の生活がつづられています。「食べものがあまりにもひどい(略)豚の餌だ」(43年7月28日)といった食事の不満や、「日本軍はいつ我々を適切に処遇したのか、いつ人道主義のかけらでも示したのか」(44年8月24日)など日本軍への怒り、同胞イギリス兵への反発、親切な日本兵との交流などが書き込まれています。
モートンさんは日記の内容を紹介しながら、「祖父は日記をつけていることが分かれば、銃殺されたと思う。この記録から、私は戦争がもたらす狂気や混乱を知ることができた。過去を見直すことで未来をより良くしないといけない」と訴えました。
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※泰緬鉄道 旧日本軍が42年、何十万の捕虜や現地の人々を動員し、物資輸送路として建設。過労や事故、病気で数万人が死亡するなど数多くの犠牲のもと43年に完成し、「死の鉄道」と呼ばれ、映画『戦場にかける橋』の舞台にもなっています。