伏見城見学会 豊臣秀吉が晩年を過ごし、後に徳川家康が入った名城として知られる伏見城について調査、研究している御香宮の三木善則宮司と考古学研究者らが1974年に立ちあげた伏見城研究会(三木幹事)は5日、「第2回伏見城発掘 幻の城を求めて」と題した講演会と現地見学会を行い、歴史ファンら約40人が参加しました。
 三木宮司があいさつ後、城郭研究家の中井均長浜歴史博物館長が「伏見城の縄張り」と題して講演。昨年2月、近代以降初めて桃山陵墓(宮内庁管理)である伏見城跡へ立ち入り調査した写真や城内丸の内図、江戸期に描かれた伏見城図などを示し、「豊臣期の伏見城、徳川期の伏見城では天守台の位置などが変えられている。豊臣秀吉の時代から徳川家に移り、改修されている。伏見城から移築された遺構も徳川伏見城からいただくという事のステイタスがあり、歴史的に見て“伏見幕府”の城であったのではないか」と述べました。
 現地見学では、中井氏が先導して御香宮に残されている築城時の石垣や矢穴の跡、JR伏見駅周辺にあったとされる指月屋敷跡をはじめ、城があった木幡山では水がある治部池や堀底がそのまま公園になっている広大な空堀、今も残る土橋などを見て回りました。
 参加者らは「伏見城って大きい。すごかったんですね」「きちんと整備し、陵墓内も見学できるようにしてほしい」などと話していました。