京都映画祭 11日まで開かれている「第7回京都映画祭」で9日、時代劇の魅力を語り合うシンポジウムが京都市中京区の京都市芸術センターで開かれました。
 映画ファンら70人が注視する中、篠田正浩、中島貞夫両監督、西岡善信美術監督、脚本家の高田宏治の各氏がパネラーを務めました。司会は映画評論家の山根貞男氏。
 篠田監督は京都で撮った初の時代劇「暗殺」(1964年)の製作にあたり、歴史を必死で勉強したとのべ「映画で歴史的な時間を埋めるのは難しいが、京都には本物同様のセットを作る職人がおり、茶碗や軸などの小物も本物があり、リアルな映像が作れる。芸能の発祥地であり、歴史が生きている京都だからこそ作れる」と話しました。
 西岡氏は、「利休」(1989年)で割った竹がカラカラ鳴る中を利休が死出の旅に出るラストシーンに「半分は勅使河原監督の趣味だが、茶道十徳など美術の勉強になった作品」と話しました。また、「御法度」(1999年)で、野面という工法で奥行きある怪しげな世界を作り、イタリアの「エンリオフライアーノ賞」を受賞したことについて「日本だからこそ描ける世界、と認められたことがうれしかった」と振り返りました。
 高田氏は「大映」がつくりだした時代劇映画のリアルさを絶賛しつつ、美術でリアリティは出せても、話の中身は歴史上の政治や権力抗争の虚実がないまぜになったもの。想像の域を出ないため、「脚本は100%うそと言っても過言でない。だから作っていく喜びがある」と述べました。また、「時代劇では、なぜそうなったかの説明がない映画が多い。若い人たちは歴史をもっと勉強し、自分自身の持つ歴史観で作品を作ってほしい」と期待を込めました。
 中島監督は初のテレビドラマで少年時代の信長を扱った際、独自の物語を想像して製作したとして「大先輩から歴史映画と時代劇映画は違うと言われた。歴史は権力者が書いてきたもので、真実かどうかは分からない。時代劇は主人公の名前を使って強引なフィクションを作ることも可能だ」と時代劇の魅力を語りました。