追悼・茂山千之丞さん(5) 古典演出家・山田庄一
「マーちゃん」との65年
千之丞君との出会いは、昭和20年(1945)の秋。彼がまだ本名の政次(まさつぐ)を名乗っているときで、私は京大生だった。初対面でフシギにウマが合い、それから2、3年は毎日のように会っては、飲み、遊び、語り明かした。終生、「マーちゃん」、「しょうちゃん」と呼び合う仲となった。
民放が出来ると、狂言をネタにしたラジオドラマを共作したり、友人に呼びかけて、歌舞伎と能・狂言の若手でだべる“おせっ会”、匿名で能の酷評をする“しかみ”、新作狂言などを様々な他芸能の役
者と上演する“狂言座”と、つぎつぎに何かを始めないと満足できないような日々だった。
武智鉄二氏(演出家、演劇評論家)との出会いも、2人で深夜に祇園のお宅へ(面識もないのに…)押しかけたのが最初である。2人で“おけら詣(まい)り”をしたあと、彼の馴染みのバーで酔い潰(つぶ)れてしまい、目覚めた時は元日の太陽が高く昇っていたこともあった。
私が毎日新聞の記者(京都支局)となり文化企画を担当したのが縁で、桂米朝君とも仲よくなった。上方芸能に携わる若手が自由に語り合う同人誌「上方風流」(かみがたぶり)を作ったのが最大の思い出。
ここ数年は顔を合わせることがなかったが、今年夏に国立能楽堂の楽屋で久しぶりに対面、病気と聞いていたのに意外と元気そうで、安心したのが最後になった。私にとっては、生涯最長、そして
最良の友、心より冥福を祈る。(東京都世田谷区在住)
(「週刊しんぶん京都民報」12月26日付)