山宣の確信に敬意表し、信念貫けた 山宣生誕122年講演会
山本宣治生誕122年記念講演会(宇治山宣会主催)が5月29日、宇治市の「花やしき浮舟園」(山宣の実家)で開かれ、雨の中約100人が参加しました。
放射線防護学が専門の安斎育郎氏(安斎科学・平和事務所所長)が「安斎育郎 いま言いたいこと~福島原発事故にも触れて~」と題して講演。安斎氏は福島原発事故について、「人類史上初の複数原発での深刻な事故が同時進行中だ」と強調。過去の原発をめぐる隠ぺいと虚偽と過小評価の実績を述べ、事故当事者3原則「隠すな、ウソつくな、意図的に過小評価するな」の大切さを強調しました。また、エネルギー政策を国政の基本問題に位置付け、原発の段階的廃絶、自然エネルギーへの転換、電力貯蔵技術の開発、電力消費の節減などを含めた国家百年の計を立てる必要性を訴えました。
安斎氏は日本の原子力発電政策を推進するために必要な技術者養成機関として設立された東大原子力工学科の第一期生ですが、日本科学者会議に参加し、国の原子力政策を批判したため、反原発主義者として、無視・監視・抑圧・脅し・懐柔などアカデミックハラスメントを受けた体験を語りました。そして、全国の原発立地個所を回る中で、様々な疑問を投げかける地域住民に鍛えられたとのべ、「山宣ひとり孤壘を守る!だが僕は淋しくない…」に学べたかしらと自問し、「背後には多くの大衆(同志)が支持しているから」とたたかいぬいた山本宣治の確信に敬意を表し、「私も自分なりの信念を貫いた。それを支えたのは日本科学者会議の仲間たち、学会での活動、そして配偶者です」と述べました。(薮田秀雄)
講演会には山宣の三男浜田繁治さんと次女の井出美代さんも出席しました。
山本宣治(1889・5・28~1929・3・5) 「やません(山宣)」の愛称で慕われた戦前の労農党代議士。産児制限を提唱する生物学者で、反戦平和運動家でもあった。戦前の天皇制政府がすすめる侵略戦争と人間の思想信条の自由を圧殺する治安維持法とのたたかいの中、右翼に暗殺された。
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