軍都から平和の町へ 伏見
京都伏見は旧京都市とは違った日本史上重要な位置と歴史を歩んできました。
その一つが1908年(明治41年)に設置された第16師団。6000人~10000人ほどの巨大な陸軍や憲兵隊などがあり、さまざまな軍関係の施設が建設されました。琵琶湖疎水に架かる近辺の橋にはすべて陸軍の星マークが刻まれており、師団街道という名は今も使われています。また現聖母女学院の煉瓦造りの立派な建物は元16師団司令部でした。
現在は教育大や龍谷大学、国立病院、消防と警察学校、保幼小中学校、団地、公園など平和文化都市に変貌しています。 しかし、よく見ると所々に軍都の残骸とも言うべきところがあります。写真は藤森にある「軍人湯」の看板のレトロ調の銭湯があります。兵隊たちが体を休めていたのでしょうか。写真の下の方には反戦平和を主張する日本共産党・参院選挙区候補の成宮まり子さんのポスターが見えます。
現在の伏見は7月、8月には反戦平和の取り組みが、数多く取り組まれています。(仲野良典)