18日、伏見義民祭が御香宮神社で行われました。江戸時代、幕府直轄地の伏見には伏見奉行がおかれました。しかし、江戸中期の伏見奉行小堀政方(まさみち)は町民に過酷な収奪を行いました。1785年に刃物鍛冶屋の文殊九助ら町人7人が苦心惨憺して江戸幕府に直訴し、政方は奉行罷免、領地は没収されました。 しかし直訴におよんだ文殊らは、厳しい詮議のために全員獄死しました。
 彼らは伏見の義民と讃えられ、明治になって顕彰石碑(写真の円柱石碑。文章は勝海舟、揮毫は三条実美)が建てられ、遺徳を偲びました。彼らのお墓は大黒寺(九助)など地元の寺院に散在し今もときおりお参りする人があります。
今年の義民祭は天候に恵まれて御香宮正門(元伏見城大手門)左手にある石碑前で義民の子孫や顕彰会、地元住民や元市会議員の坂口芳治さんらも参列して厳粛に義民祭が行われました。参観した年輩の人たちは「今こそ、彼ら義民の遺志を活かさなあかん時や。医療や介護に年金など私ら高齢者いじめばっかりの時勢ですがな」、「ほんまにその通りや」などと話していました。(仲野良典)