私も読んだよ 「蟹工船」 感想文(2)
プロレタリア作家の小林多喜二が蟹の工船で働く人々を描いた小説「蟹工船」が、「週刊コミックバンチ」(新潮社)でマンガ化され集中連載されています。また『劇画「蟹工船」 小林多喜二の世界』(講談社プラスアルファ文庫・18日発売予定)も出版されるなど注目が続いています。
京都市内に住む東山翔伍さん(19・学生)は、新聞などでたびたびタイトルを見て興味を持ち「蟹工船」を読みました。東山さんの感想を紹介します。
労働者がみごとに分断され、こき使われているところは現代とリンクする部分だと思います。「この小説がはやるわけだ」と思いました。
「蟹工船」を読んでいる途中、インターネットで配信されているニュースで「『蟹工船』を読んで絶望の淵にさまようくらいなら、何か行動すべき」という記事をみかけましたが、読み終わった後「あのジャーナリストは『蟹工船』を読んだのかな? 『蟹工船』は労働者が立ち上がる姿を描いている。団体交渉なんて知らない人に立ち上がることを呼びかけてるんじゃないのか?」と思いました。
印象に残っているのは、ロシア人や中国人が日本人労働者に団体交渉について教えている場面です。日本人労働者は、最初ピンときていない様子でしたが、自分らの中で現状を変えられると気付き、実感する過程です。函館へ寄港したとき「サボ」や「ストライキ」をしたのが、博光丸だけじゃなかったという部分も面白かったです。
そこで「蟹工船」に登場する労働者より、現代の労働者のおかれている環境の方がひどい部分もあるなと思いました。当時は通信手段が今ほど発達していなかったこともあり、炭坑や船など体力的、衛生的にキツイとは思いますが一定期間雇われます。
現代は、日雇い派遣に代表されるように、労働者が必要なら携帯電話1本ですぐ呼びだされます。毎日、または時間ごとにいろんなところで働かされます。毎日仕事があるわけでもなく、寝床も保障されていない。体を壊したら終わり。資本家にとって都合のいいシステムが作られていると思います。
もう1つ印象的だったのは、仲間の1人が死んだシーンで、監督に対して反発を感じるくだり。労働者は「お国のために」蟹工船で働いていたので、自分が苦しいとかシンドイだけだったら、どんなに追い詰められても我慢したんじゃないかと思いました。仲間がひどい目にあっているのを見て、日本各地のさまざまな労働現場から集められた人たちが監督らに反発する。そういう人間模様が美しいと思いました。
僕は音楽が好きなのですが、100回聞いて良さがわかる曲とそうでない曲があると思っていて、「蟹工船」は前者だと思います。色んな本を読んだり色んな経験をして、繰り返し読むことで面白さが増すのではないかと思いました。
私も、「蟹工船」を読む度に新たな発見をします。
冒頭で「地獄さ行く」2人を「蝸牛」に例えたり、汽船を「赤い太鼓腹」と例える意味を考えると、とても面白いです。だから最近は、繊細で芸術的な面もあると感じます。
僕は中学生の時に「タイトルが面白いな」と思って読んでみたけど、想像してたないようと違ったし、ショックだった記憶しかない(-_-;)だから今は内容もよく覚えてない。
流行してるようだし、こんど実家に帰ってみたら、もう1度読んでみようかなと思った。
http://www.mankitu.net/column/ht/
蟹工船を読んだ人が書いてるコンテストの受賞者だと思うけど、ネットカフェ難民がネットカフェのホームページで日記してた。
H・Tって、白樺文学館が探していた人だと思います。コミックバンチを読んでからはまって、調べてみたら、小林多喜ニとか、このH・Tとか貧乏人にたまらない作品書いてます。
蟹工船をいかに読んだか?の読書感想文は、H・Tがやはり衝撃的でした。ブログ見ましたけど、ネットカフェから抜け出せないようです。蟹工船=現代=H・T=不況みたいな縮図ですね。
H・Tブログ終るらしいやん。蟹工船のぶーむきたのに関係ないやん。それともなんかあるんかな。2ちゃんねるは、蟹工船=H・T=不況みたいになってんのにな。↑パクった↑
蟹工船のHTさん、ブログあっぷしたぞ。状況は、わかんねーが首切りされなかったな。よくやったぞネットカフェ広告協議会。しかし名前・文字なげーな。東京も仕事なさそうだろうな。
馬鹿じゃないの。こんな本を読んでいる暇があるなら違う仕事を探せばいいと思う。
田舎に行けば、農林業は人手不足で50から70才前後の人間が働いているのなんかざらですよ。
非正規増やすように仕向けた、小泉を支援していた組合や労組も人間も多いのに、これ読んで感動している場合じゃないだろう!!
なぜ、仕事を選ばず第一次産業に従事しない。
なぜ、財界人、組合、労組を提訴しない。
感動するより先に、選ばず働きなさい。
約80年も前に書かれた作品だが、今も蟹工船の世界と何ら変わらぬ労働社会が存在している。職員は、会社の利益のため日々ノルマに追われ、それを達成できない者はゴミのように扱われる。数字とカネ、世の中はそれを中心に動いている。この社会で弱者が幸せに生きるにはどうすれば良いのか。腐敗した政治情勢の中で、社会の一員として受け入れられない悔しさ、憤り、焦燥をどこにぶつければ良いのか。ただ一つ、支配者らには自分達だけ良ければそれで良いという腐った考えをまずやめてほしいと切に願う。また、私たち弱者は、どんなに生きづらいと感じても、人間としてのプライドを捨ててはいけないと思う。