車折神社 9日は中国から伝来した習俗の9が重なる縁起のいい日として、重陽祭(ちょうようさい=重陽節会、重陽神事)が上賀茂神社や法輪寺など各地の寺社で営まれ、無病息災の菊酒が振る舞われました。
 右京区嵯峨の車折神社(くるまざきじんじゃ)では11年前に復活した重陽祭が盛大に営まれました。
 社伝によると重陽祭は江戸時代末期まで神仏習合の様式で盛大に催されて、大般若経の転読もされていたとあります。9日は本殿で神事があり、雅やかな舞が奉納されました。
 舞の後には「不老長寿」と「除災招福」の菊酒が振る舞われました。(仲野良典)

 車折神社は平安後期の儒学者で「その才、神というべく尊ぶべし」と言われた清原頼業(きよはらのよりなり)を祀る神社。室町時代には天竜寺の末寺となりましたが、後嵯峨天皇が嵐山遊興のおり、この寺社の前で牛車の轅(ながえ)が折れたので「車折大明神」の号を賜ってからは車折神社と称するようになったと伝えられています。