龍谷大平安高硬式野球部創部100周年記念試合観戦記(3)芳村智裕
「広島は広陵、高知は明徳、…京都も成美、立宇治、外大西、それと平安しか甲子園は難しい」と嘆いた。打者走者が振り逃げで一塁へ、捕手がそらしている間に一塁を回って二塁まで達すると、「これは平安が勝つ」と断言した。松山商らしからぬプレーということらしい。
「(公立校は)もはや選手が集まらないし、集めにくい。国公立や商業高、工業高は社会的逆風が…」と再びその話が始まった。「高校卒業後は昔なら就職だったのが、今は進学できないと生徒が集まらないし、人気もない。要は高校に大学へのルートがないとどうしようもない」。
目の前でプレーする平安の選手たちにふと目をやった。考えてみればそうだ。最近の傾向からして平安が「龍谷大平安」になったのも、龍谷大学付属高校になれば生徒がより集めやすくなるという学校の事情があるだろう。
少子化問題は深刻で、今後も年々減っていく傾向にある子どもたちの奪い合いに拍車がかかるのも無理はない。男子校、女子校の共学化も進んでいる。平安も数年前までは男子校だった。
進学を期待する保護者らはエスカレート式の進学が想定できれば、将来の計画設計が立てやすい。さらに子どもたちは受験勉強のしがらみなく落ち着いて勉強やスポーツなどに励むことができる、ということだろうか。
平安の生徒たちや今目の前にいる、この野球部の中の何%かは龍谷大学への進学をすんなり決めるのだろう。そのために付属校になった、と言ったら語弊があるかもしれないが、学校経営をシビアに考えなくてはならない私学の宿命ともいえるわけだ。
そういうブームでもある。そして、それは何より平安野球部がより強いチームとして今後も存続できることでもあるのだ。それがまた平安野球部としての伝統を守り続けることでもあるのだ。
「平安は智弁和歌山や天理、PL、桐蔭(大阪)ほどは…、校風があるから露骨にするのは抵抗があるからだろう」とおじさんは言うので、「そうですね」と相づちを打った。
そのおじさんがあまりに松山商にも詳しいのでなぜか聞いてみたら、「松山にいた。今は神戸に住んでいる」と話してくれた。(つづく)
(写真=龍谷大平安・先発ピッチャー)