「人殺しが勲章される国にしてはだめ」 不戦のつどい
アジア・太平洋戦争開戦67周年の不戦の集い(主催・戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会)が6日、京都市中京区の京都アスニーで開かれ、府内各地から会場いっぱいの120人が参加。フィリピン戦をたたかった元兵士が戦争体験を語りました。
日本軍は開戦後5カ月でフィリピンを占領しましたが、米軍の反攻を受けて惨敗。京都の第16師団がレイテ島で壊滅するなど終戦までに48万人が戦死。ゲリラ討伐などを理由に111万人のフィリピン住民が犠牲となりました。
集いでは、情報将校としてルソン戦に参加した人見潤介さん(92)と陸軍航空通信兵としてネグロス島へ渡った廣瀬耕作さん(85)がフィリピン戦の実相を語りました。廣瀬さんは、「人を殺せば勲章がもらえる国に2度としてはいけない。体験者として戦争だけは絶対にいけないと若い世代に伝えたい」と話しました。
若い世代への戦争体験の継承を目指して活動する「ブリッジ・フォー・ピース」の神直子さん(30)が取材・制作した、元日本兵とフィリピンの戦争被害者の証言ビデオを上映しました。