龍谷大平安高硬式野球部創部100周年記念試合観戦記(10)芳村智裕
試合は6回に入り、2-2の同点。「今日も接戦ですね」と言うと、「共通する面や認識が同じ伝統校同士が対戦すればどうしても決戦になってしまう」と答え、岐阜商の名を挙げた。「1勝1敗だったか2勝1敗だったか。お互いに意識するのだろう」。松山商だけでなく岐阜商など全国各地の古豪と呼ばれるチームが多数存在するわけだが、今もなお甲子園に出場するような高校は少なくなってきているにちがいない。
「他と違って平安で野球をやるというのは違うのですか」と尋ねると、即座に「卒業後、選手の人生に影響してくる。野球をやめても、やめてからが大事かもしれない」とおじいさんは強く言った。そして、「平安でやっている、やっていた自信というのが大きい。心の、精神力の強い人間になってくる」と強い言葉が返ってきた。自信に溢れた言葉だった。「プレーだけでなく、ベンチでの動作も手の抜くところがなかった」と高校時代を振り返る。野球を通じて学んだことが社会に出ても大きかったということなのだろう。
まさかと思ったが、おじいさんはOB会の理事長だった。「会長は1年上」と言った。
平安についてこれほど明快に語れるのはそれが理由でもあった。
甲子園で松山商に3連敗していることや7年前の準々決勝で試合後、バックネット裏のムードが険しかったという話も聞いてみると、「勝負だから勝ち負けはある。それよりも負けたときでも潔さ、負けっぷりが大事」とあまり気にもならない様子だった。これは意外だった。「勝ってほしかった」とは決して言わない。試合の勝ち負けそのものよりも平安らしいかどうかが重要ということなのかもしれない。なぜなら、負けっぷりの“ぷり”が大事と“ぷり”を何度も強調されたからである。「“ぷり”やで、わかるか」。
外から観ている平安ファンはとにかく勝ってほしいと思い、試合結果や内容を重視して観戦している。バックネット裏のおじさんが話した内容は同意する点が非常に多かったけれども、内から観ているOB会理事長の話がすごく新鮮に聞こえるのはなぜだろう。
この試合が双方で行われることになったいきさつ、なぜ松山商なのかも聞いてみたが、「松山商と平安監督同士の日頃のコミュニケーションで決まったようだ」ということだった。昨日の新聞で確認した内容にもそうあったが、「絆(きずな)ですね」と言うと、その言葉がはまったようで「そうそう、絆(きずな)。いいこと言うなあ」と褒めてもらった。
今の時代でなかなか絆(きずな)という感覚はわかりづらいが、お互いを認め合う心と訳しておけばいいのだろうか。他にも「模範になる」という言葉が出てきた。それは他に手本となるチームはなかなかいないという意味でもあった。(つづく)