龍谷大平安高硬式野球部創部100周年記念試合観戦記(13)芳村智裕
平安硬式野球部OBの声を聞いて、その伝統や格式について少し知ることができた。今度は一般の、普通の平安ファンに話をうかがいたい。周りを見渡していると、一塁側保護者らと離れてのんびりと座っている人たちがいる。そこへ向かうことにした。
「本当は今日、佛教大の応援に東京(神宮)へ行くつもりだった」という大正15年生まれで来月82歳になるおじいさんはにこにこした笑顔でこう答えた。「終戦直前の7月に中隊に入ってきたとき、横に寝ていたのが平安中出身者だった。それから野球が面白くなった」と話す。「百姓をしているけど、夏はだいたい来てる」と高校野球好きでもあり、「四国言うたら松山商、京都言うたら平安、京都商(現京都学園)。始球式にどうにか間に合った」とおじいさんもこの招待試合を見逃すわけにはいかなかった様子だ。
なんでもおじいさんは次男で、元々家が百姓で戦争に負けて2年間は手伝ったが、(その後は長男が継いだ)昭和23年からは化学工場に50年間勤めたと言う。6年前に健康診断で胃がんが見つかり、「家族と来てください」と言うので行くと「来年夏に死ぬで」と医者に宣告された。「それで会社やめて、今はきれいによくなった」と、話してもらわなければ全くそんな風には見えない体調の話をしてくれた。だから、「スポーツ全般、好きなもの観たいからラグビーや甲子園に行く」と歳を感じさせない行動力があるのだろう。
「平安が出るというたら、仕事ほってでも来る。ずっと平安ファンなのは生徒さん、父兄さんが親切だから」と平安一筋の理由を明かしてくれた。それ以外は「ほかも行くけど平安ほど行きたいという感じではない」とファンならではの率直な感想を口にしてくれたと思う。ほかと何が違うのか。「練習が違う、上手やと思う」とグラウンドに目をやった。
試合の行方も気掛かりではあった。が、中盤から後半にかけて、おじいさんの話を夢中で聞いてるうちにどうにも盛り上がりに欠けた。最後の平安の攻撃が終わり、2-3と逆転はならず。招待試合は公式戦ではないものの、平安はまたも松山商に敗れた。写真を撮っていると「もう、ええか」とおじいさんは立ち上がった。平安の保護者らとも顔なじみのようで何やら楽しそうに話していた。平安の選手たちはベンチの前で円陣を組んでいる様子だ。決勝点の取られ方を見る限り、厳しい監督の長いゲキが飛んでいることはまず間違いないだろう。バックスクリーンにはヒット数7、エラーの数2がともっていた。どちらも松山商を下回っている。今日限りの平安という文字も今回が最後になる。もう二度と表示されない。来年以降は、龍平安の3文字がともり続けるだろう。
球場から外に出ようとしている時、階段で「どうして打てないんですか」と冗談交じりにみんなで言い合っている制服姿の女子高校生を見た。スコアを見ても投手戦なのか貧打戦なのか状況がつかみにくい。松山商との因縁関係はこれからも当分続くのだろうか。(つづく)