山中貞雄偲ぶ 29歳の若さで戦病死した、京都出身の映画監督・山中貞雄(1909-38)の生誕100年を記念した座談会が12日、京都市中京区の京都文化博物館で行われました。映画・文化史家の田中眞澄さん、「山中貞雄を偲ぶ会」の鴇(とき)明浩さん、山中監督のめい・原田道子さん(88)が同監督の人柄や作品の魅力ついて語り合いました。
 京都市下京区に生まれた山中監督は、22歳の若さで監督デビューし、27歳で徴兵されるまでの短い間に26作品を製作。スピーディーな動き、字幕と映像のリズミカルな展開で時代劇映画に革新をもたらし、黒澤明監督らのちの日本映画を代表する監督らに多大な影響を与えました。
 鴇さんは、「山中監督の業績をしのぶため結成された山中会は71年まで続き、著名な映画人が数多く集った。その後、山中貞雄を偲ぶ会が発足し、現在まで小津安二郎監督の碑文が建つ京都の大雄寺で墓前祭を行ってきた。これだけ多くの人に愛され続ける監督はいない」と語りました。
 田中眞澄さんは、「戦争の犠牲となった映画人のシンボルが山中監督だ。その才能と愛すべき人柄を惜しみ、戦争を反省する気持ちが結集して、今も『会』が続いている。山中作品は、戦争の時代にヒーローではなく市井に生きる人びと、民衆の生きざまを時代劇を通して描き続けた」と述べました。
 小学生のころまで山中監督と一緒に暮らしていた原田さんは、「映画をやりたいと周囲の反対を押し切って、マキノ撮影所に入った」と、思い出を語りました。

 同館では20日まで、山中監督の作品を上映。小津安二郎監督が送った直筆の手紙をはじめ遺品を23日まで展示しています。