文化の大切さが分かる政治家が必要 対談 成宮まり子さんvs.川上力三さん(陶彫作家)
日本共産党の成宮まり子参院京都選挙区候補(40)は、府下各地を駆け巡り、府民の暮らしを守るため大奮闘中です。こうした活動の中で成宮候補が出会った、各界で活躍する人々との対談をシリーズで紹介します。第1回は、京都在住で、戦後日本の前衛陶芸をリードする陶彫作家、川上力三さん(74)。京都市立芸術大学出身、同大学大学院修了制作で(山口)華楊賞を受賞した成宮候補と芸術や社会について語り合いました。
川上力三(かわかみ・りきぞう)さんの略歴 1935年、京都市生まれ。53年、京都市立伏見工業高校卒業。54年、京都府立陶工訓練校卒業後、同年、2代目河合瑞豊氏に師事。64年、前衛陶芸グループ「走泥社」展に初出品し、同人参加。その後、国内外で、展覧会への出展や個展を開催。75年、京都クラフト展で金賞受賞、84年、国際スモールセラミック展(ユーゴスラビア)で名誉賞、89年、日本陶芸展で日本陶芸展賞を受賞。07年、紺綬褒章授章、京都府知事表彰授与。09年、「作陶50余年の記録 展点記」を出版。
川上力三kawakami rikizo
成宮 お久しぶりです。9日から、舞鶴市で開催されている川上さんの個展、見に行ってきました。赤レンガの重厚な建物の展示室に、「大量消費」「環境問題」などをテーマにした、迫力ある陶彫作品の数々。見ごたえありました。
川上 忙しいなか、わざわざ行ってくれたんですね。
成宮 私が京都市立芸大の大学院を修了する年に、ちょうど、川上さんが彫刻科の非常勤講師として来られたんですよね。私は、隣の教室で制作していました。この4年ぐらいですか。お話しするようになったのは。それから、07年に「京都民報」に書いた川上さんの個展の展評記事を、川上さんの作陶50余年を記念した記録集に、載せていただきました。
川上 私は“何党”と言うんじゃないけど、成宮さんには、頑張ってほしいな。美術、文化に携わり、文化の大切さのわかる政治家がもっと増えていかなだめです。
成宮 フランスの文化予算は日本と一桁違いますね。川上さんは、かなり以前から韓国でも展覧会を催されていますが、韓国の文化行政はどうなんでしょうか。
川上 韓国では、民間の大手デベロッパーがビルなどを建てる場合、その費用の2%を美術家への作品発注にあてることが義務付けられていると聞きます。ヨーロッパの仕組みを導入して、美術家を支援しています。韓国だけでなく、中国も文化行政に近年、力を入れています。
成宮 日本政府の文化の位置づけが低すぎますね。ところで、川上さんが、この道を選ばれたきっかけは?
川上 実家が商売してまして、絵描きになりたかっただけど、親父が反対してね。親父と妥協して、なんとか食べていけるだろうと陶芸の道に入ったんです。実家では、僕と同じくらいの世代の人が働いていました。でも、僕ら家族と働いている人は食事の内容が違う。それが、いやでね。僕は、みんなと同じものを食べました。学校を出て、五条坂のあたりで修行しだした頃、新しい美術のグループがいつくも生まれたんです。その一つが、戦後の現代陶芸に大きなページを開いた「走泥社」。1948年に結成され、私は1964年に同人参加しました。
成宮 新しい美術を求めるグループがたくさんできたのが、伝統が長く受け継がれてきた京都だったというのが、おもしろいですね。
川上 長い伝統を持つ京焼、工芸の世界で、実用性や伝統を乗り越えて、新しい表現を生み出すことは容易なことではなかったですね。
[[SplitPage]]
成宮 川上さんは、社会問題に正面から取り組み、強いメッセージを発信する作品を作っておられますね。今も旺盛な創作意欲、挑戦し続ける作家ですね。そのエネルギーや源泉は何でしょか?
川上 僕はマスコミから「社会派」と言われてきました。「作品のアイデアが次々と出てきますね」といわれるけど、社会の動きや何かに対する不条理、それが作品の原点です。芸術というのは、社会と切り離されたものではないですね。実は、今も幅6メートルの大作に挑んでいます。絶えず新しいことへ挑戦していくことが大事です。
成宮 私も学生時代、周りからは「社会派」と言われてきました。(笑い)。学生時代の91年、湾岸戦争が起こったんです。「明日から戦争が起こるときに、私らに何ができるのか」と話し合い、作品を作りながら、反戦ビラも書きました。初めて反戦のメッセージ性を強く表わした作品を作りました。
川上 成宮さんの大学院修了作品を写真で見せてもらいました。若いときから、「反戦」の思いをよく持っていましたね。
成宮 大学院で修了作品を作っている最中の95年に、阪神淡路大震災が起こり、救援ボランティアに通いました。この年はちょうど戦後50年でした。従軍慰安婦の問題が初めて日本でクローズアップされ、侵略戦争の美化決議の問題が起こったりしました。そんな中で、作った作品の題名は「戦争ゴッコ」。小学校の子どもの机の中から、木で作った戦車がぞろぞろとはい出してきて、その光景を戦争の犠牲になった幼い子どもたちが不安げにのぞいているというものです。子どもの写真は、私の母の姉。満州から引き上げ後、栄養失調と貧困で亡くなりました。
川上 成宮さんの作品をもう少し見たかったな。
成宮 大学院以降の作品はスライドで保存しているのですが、整理ができていなくって。また、見ていただければうれしいです。
川上 成宮さんは、今は作品を作っていないですか。国会議員になっても作品を作る気構えでいてほしいですね。
成宮 よく、あちこちで言われて困っています。(笑い)そうですね。再開したいですね。
川上 政治家で作品作りをしている、そんなスタイルは、多くの人に支持をしてもらえると思うな。やっぱり京都は、ものづくりの町。ものづくりの気持ちの分かる国会議員が京都には必要です。それと、僕は、憲法九条は死守してもらいたいね。
成宮 展覧会やギャラリーを訪ねると、どこでも美術家や関係者の方から、平和への思いや憲法九条への熱い思いを感じます。私の場合は、ピカソから受けた影響がとても大きいんです。
川上 ピカソの「ゲルニカ」は、史上初めての無差別空爆を告発した作品として有名ですね。
成宮 スペインまで「ゲルニカ」を見に行ったんですよ。学生のときに、この作品が生まれた経過を図書館で調べました。ピカソは、作品を作るときから、マスコミを意識して描いています。普通、作家は制作過程をあまり見せたくないものです。でも、ピカソは、反戦のために絵を描くんだと宣言して、制作過程を写真に残しました。世界に反戦をアピールしながら完成させたんです。かつて、「ゲルニカ」は防弾ガラスで覆われていました。反戦の象徴であるために、テロや焼き討ちにあったりする危険性が高かったんです。ピカソが考えた以上に、作品には力があるんですね。
川上 終戦のときは、僕はまだ少年やった。親を戦争で亡くした子どもたちが浮浪児になって、京都のあちこちにいたことが、目に焼きついています。反戦の思いを忘れてはいけないし、悲惨な思いを風化させてはいけない。僕も戦争を少しでも知っている者として、反戦の姿勢を貫きたいです。
成宮 芸術家とは、大きな影響力がある存在ですね。
川上 僕の今のテーマは地球温暖化。美しい地球を残していきたいね。これまで、テーマにしたものは、「壁」「門」「椅子」「座」。権力の象徴ともいうべき「椅子」に反権力の思いを込めました。人と人を隔て、差別する「壁」や権力を守るため「座」にしがみつく醜い人と人の争いを告発してきました。形ある石や木を彫っていく彫刻と違って、陶彫はゼロの状態から粘土で、形を生み出していく。まだまだ、可能性はあります。
成宮 「壁」シリーズが完成した後に、東西ベルリンの壁が崩壊したんですよね。作品に込めたメッセージが、現実の社会を動かしたんじゃないでしょうか。時代の先をいく川上さんのこれからが、楽しみです。
川上 文化の大切さわかる政治家がもっと増えていく、そのさきがけに成宮さんになってほしい。僕も楽しみや。
成宮 ありがとうございます。頑張ります。