“軍の論理”よりも“民の尊厳”を 京都での赤嶺衆院議員の訴え
「日本共産党の綱領は沖縄県民の戦後65年間、人間として扱われてこなかった怒りと心を体現している。県民の願いは日本共産党しか実現できない」──日本共産党の赤嶺政賢衆院議員(幹部会委員、沖縄県委員長)を招いて沖縄・普天間基地撤去のたたかいに連帯する演説会が21日、京都市下京区のシルクホールで開かれました。赤嶺氏は、県民の怒りの根本を示し、その解決へ参院選での共産党の躍進を訴えました。
人として扱われない怒り
この怒りは、戦後65年間、人間として扱われてこなかった沖縄県民を裏切ったことに対して、「人間として許せない」という根本的な怒りがあるんです。鳩山首相はそれがわかっていない。
第二次世界大戦で沖縄では激しい地上戦が繰り広げられました。絶対主義的天皇制を守る=国体護持のために本土決戦の時間稼ぎを命じられました。軍人はもとより民間人も総動員され、沿岸部に布陣せず、地下壕や鍾乳洞にこもって迎え撃ちしました。さしたる抵抗を受けず上陸した米軍は、無人となった地域に飛行場を建設。これが普天間基地でした。
戦争中でも私有財産を強奪することは国際法で禁止されているにもかかわらず、米軍は土地を奪い、基地にしました。県民に返さなければならないのに、沖縄がサンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、米国の施政下におかれたため、アメリカは「銃剣とブルドーザー」で住民から強奪し続けました。
多くの犠牲の上に闘いが
普天間基地の無条件撤去を求める県民のたたかいは、たくさんの犠牲の上になりたっています。私は沖縄各地で米軍基地を調査していますが、あるときある町の無所属議員さんから、「あの95年の暴行事件の被害者は隣の家なんだ」と教えてもらいました。沖縄では被害者がどこの誰かなど一切報道されていません。
議員さんはこう言いました。「あの少女は立派に成人したが、あの事件以降、彼女から笑顔を見たことがない、親はがんばったが、傷は深く、いえていない。毎日見て基地撤去に真剣に取り組まなければ犠牲になった家族に申し訳ないと思う。ぜひ共産党にがんばってほしい」
1985年に高校2年生で米兵から暴行を受けたという女性が、2005年に嘉手納基地空軍兵士による少女わいせつ事件が起きたとき、「もう人殺しの軍隊は出ていってほしい」という手紙を当時の沖縄県知事に書きました。私が国会で手紙を取り上げて質問しました。その女性と会うとよく知っている人だったんです。彼女は体も心も壊して1995年の少女暴行事件を迎えるんです。家に帰ってニュースを見て、一晩中泣き明かしたと言いました。………
〈詳しくは「週刊しんぶん京都民報」5月30日付掲載〉