追悼・茂山千之丞さん(2) 落語家、人間国宝・桂米朝
最後まで新しいことを
ほんまに惜しい。淋しいかぎりです。
彼とはお互いに「せんちゃん」「べーやん」と呼び合う間柄でした。ずいぶん若い頃から仲良くさせてもろうていましたが、殊に昭和30年代に「上方風流(かみがたぶり)」という同人を作ってからは、うんと親しくなりました。
事ある毎に、酒を飲みながら芸談を交わしました。ときには祇園で朝まで語り合ったことも…。何か目新しい企画をする時は、必ず千ちゃんが中心になって引っ張って行ってくれました。
彼は一生を通して狂言の普及に努力した人です。戦後しばらく、上方芸能界はどんな分野も世間にほとんど知られていない時期が続いていました。そんな中、千ちゃんは学校公演などを積極的に進め、狂言の認知度向上に大きく貢献したと思います。ほんまに、どこでもやってましたからなあ。
もう一つの彼の功績は、それまではともすればお高くとまっていた能狂言の世界を、きわめて庶民的なものにしてきたことです。最後まで新しいことを考えてきた人やと言えるんやないですかな。
まだ信じられません。ほんまに残念です。(「週刊しんぶん京都民報」12月26日付)