杉浦三津子さん 6日、京都市伏見区で行われた日本共産党政談演説会で、東日本大震災で被災し、京都市へ避難してきた女性が弁士に立ち、「原発被害を風化させないで」と訴えました。この女性は、福島第1原発の20キロ圏内にある福島県浪江町から、中学2年と小2年の孫を連れて、京都市へ避難してきた杉浦三津子さん(60)。向島ニュータウン(伏見区)の市営住宅へ入居しましたが、生活用品もなく途方にくれる杉浦さんを、向島ニュータウンの日本共産党支部のメンバーが、暖房器具、食器、孫たちの勉強机などの生活用品を貸し出し、励ましてきました。同支部が演説会弁士をたのんだところ、杉浦さんは「世話になった共産党の役に立つのなら」と快諾しました。訴えの要旨を紹介します。
 私の住む浪江町は11日、避難指示を受け、立ち入り禁止区域となりました。それでも、避難できないお年寄りなど、1万人近い人たちが残って暮らしています。亡くなった人の遺体が見つかっても、放射能を浴びているということで、そのまま放置されていると聞きます。あまりにもひどいじゃないですか。避難所で暮らす人たちも2万人います。復興するにも家にも町にも戻れない状態です。
 地元では、原発はクリーンなエネルギーと言われてきました。放射能は目に見えないだけに、今回の事故で、本当に怖いものだということを実感しました。亡くなった人の遺体さえも、弔えない、こんなことが原発事故で起こっていることを忘れないでほしい。原発がいかに危険なものであるかをもう一度、考えてほしい。みんなが安心して暮らせる、エネルギーが必要です。
 福島の避難所では、おにぎり1個、アンパン1個を孫たちと分け合って食べてきました。京都に避難してからは、近所の人たちが「困っていることはないか」と何かと声をかけてくれました。京都の人たちにはお世話になりました。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。