大西和上を語る 設立50周年を迎えた京都宗教者平和協議会(理事長=宮城泰年・本山修験宗門跡門主)は10日、上京区の聖公会京都教区センターで記念講演会「大西良慶師を語る」を行い、宗教者や学者ら100人が参加しました。
 講演会では、宮城氏と総本山永観堂禅林寺法主で社会福祉法人「同和園」の五十嵐隆明理事長、大輪寺住職で京都立正平和の会の石田良正理事長の3人が、平和運動に尽力した大西良慶和上の思い出やエピソードを語りました。大西氏のもとで得度した森清範清水寺貫主が宮城氏のインタビューという形でビデオ出演し、「反戦の思想を貫いたことを“赤い坊さん”という人もいたが、言い続ければ人は言わなくなるとよく仰っておられた。人の命の尊さを説くのは政治運動からでなく、信仰からきているもので宗教者としての強い思いからだと思います」と述べました。
 五十嵐氏は、大西和上が日本宗平協の初代会長としてベトナム戦争のとき物心両面で反戦運動を支援したことを紹介。ベトナム救援資金のために大西和上が墨蹟を売った秘話や救援カンパを五十嵐、宮城両氏が72年11月に北ベトナムへ命からがら届けたエピソードを披露。「和上は当時98歳。いつも人類平等の平和運動を唱えておられた」と述べました。
 宮城氏は、61年の京都宗平協の発足は翌年の大西和上を会長として発足する日本宗平協の原動力となったとのべ、大西和上を中心に「ベトナム救済仏教徒委員会」が生まれ、宗派を超えた幅広い47人の宗教者が賛同したことを紹介。「理論武装の細井友晋師、直情径行の福岡精道師のもとで、京都は宗教者の反戦平和運動の先駆けだった」と話しました。
 石田氏は京都仏教徒会議の事務局次長として活動していた70年代当時、福岡精道師を通して和上に資金面などの相談に乗ってもらったことやカンパ箱を京都府内の各寺院に置いて回ったことなど、幅広い宗教者と平和活動に取り組んだ当時を振り返りました。