神戸文学館に「美(ちゅ)らな(ひと)─伊都子曼荼羅」を聴く
梅雨の晴れ間の11日、元参議院議員の西山とき子さんのご案内で、神戸文学館の企画展記念講演を聴きに行きました。京都ゆかりの随筆家・故岡部伊都子さんの文学関連の遺品が寄贈されているご縁の神戸文学館で、これまた岡部さんの本を多数されている出版社の社長さんが、在りし日の岡部伊都子さんを語る記念講演でした。
実は、参院議員時代から岡部さんと「京都民報」で対談をするなど親交を深めていられていた西山とき子さんは、京都ゆかりの著述家に係わる講演も広く取材して、京都文学館の設立を求める運動に今後活かして欲しいと強調されました。
岡部伊都子さんは、随筆集『美のうらみ』(1966年・新潮社)の「後祇園会」という章で、神戸労音での松山樹子さん主演“バレエ祇園祭”を観て、またその原作である西口克己の小説「祇園祭」を読んで、時の権力におもねらない京町衆の“平和行進”がもつ解放感にあふれた祭の原点に共感していました。
さりげなく記述された「戦乱は、いつの時代も、一般民衆のよろこびを奪ってしまう」と警句し、われわれの祭りの「このエネルギーのふっとうを、どういう方向に向けていくのかが、われわれ自身にとっての大事な課題だ」と自問もしています。
今にして思えば、岡部伊都子さんが生きとし生けるものの“美”をいとおしんだその原点には、アジア太平洋戦争で婚約者を死地に送り出し、侵略戦争の加害に手をかした、自分のおぞましさへの自戒が忍ばせてあるのではないでしょうか。
煉瓦造りの瀟洒なキリスト教会を改造した文学館に据え置かれた岡部伊都子さんの使い込まれたライティングデスクでしばしほおづえをつきながら、私も在りし日の岡部伊都子さんの言葉に思いをいたしました。
さて、神戸文学館には、神戸ゆかりの文学者の自筆原稿などが常設展示されていますが、同時に神戸の花をめぐる「文学散歩」リーフレット(数種類)なども無料配布しています。そこで翌々日改めて、中央区文学散歩を“実践”しました。
神戸と言えば、港まち・別れまち・異国情緒なまちです。堀辰雄『旅の絵』とか、宮本輝『花の降る午後』とか。機帆船が見えるメリケン波止場から旧神戸外人居留地、風見鶏の館など異人館通りを折りたたみ自転車で走破しました。もち、ハンガーノック対策のエネルギー補給は、神戸ならではのパスタなど洋食のグルメ。とはいいつつも、南北軸の移動は“激坂上がり”となる神戸では、文学散歩も体育会系の自転車散歩になってしまった一日でした。(佐藤和夫)