平和のための伏見戦争展 「2011年・平和のための伏見戦争展」が4日、「ノーモア広島・長崎、ノーモア福島…原爆と原発の被バクを考えるつどい」を中心に、伏見区役所ホールで開催されました。福島から伏見区に避難している6人の被災者の発言や講演が行われました。
 会場には、福島原発事故汚染地図、濃縮される海水中の放射能物質や原発撤退と再生可能エネルギーなどの図解資料や写真など約20枚が展示されました。
 つどいで紹介された6人の被災者は一言ずつ発言。放射能による小さなわが子の健康不安が一番の理由で全て母子だけの避難になっており、内部被曝と子どもの健康や生活の不安など、それをもたらした原発への怒りなどを切々と訴えました。また、京都は福井原発が近くにあり、琵琶湖も心配、福島の惨事を繰り返さないために原発についていっしょに考え頑張っていきたいと述べ、会場から大きな激励と賛同の拍手が起こりました。
 原爆症集団認定訴訟支援ネット兵庫共同代表で医師の郷地秀夫さんが、広島、長崎への原爆投下による内部被ばくと、今回の福島原発による放射能被ばくの共通の問題点について講演。郷地さんは最初に、大江健三郎氏がアメリカの『ニューヨーカー』誌に投稿した文章、「原子力を工業生産性に換算して考えるべきではありません。広島の悲劇を経済成長の見地から考えるべきではないのです。原子力発電所を建設し、人の命を軽視するという過ちを繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶に対する、最悪の裏切り行為です」を示して、「これは私の考えとぴったりと一致するのです」と明言しました。福島原発事故への広島の被爆者の声、「津波は本当に大変やね、でも原発事故は何であんなに騒ぐのですかね? 原爆はあんなもんじゃあなかったものね、下痢して点々の出血して熱出してね…」、「20キロ、30キロどこころか2キロ、3キロのその辺の物食べてきた、私らは放射線も何もよう分からんかったからねと」を紹介しながら、広島、長崎でも、福島でも重要な情報がコントロールされ操作されおり、福島原子炉施設内の放射性物質の総量、放出された放射線核種と量、土地、水さらに生態系の汚染状態や人体の被爆状況と今後の被曝などを明らかにさせなければならないと強く訴えました。
 また、原爆と原発の仕組み、多数の放射能物質(線)の性質、63年経過して被爆者の臓器から確認されたプルトニウムなど内部被ばく、爆発後直後の放射性投下物などわかりやすく説明しました。さらに人体や健康面では放射線による障害は急性障害と後障害があり「放射線障害は何年も後にやってくる」のであって「放射線量では直ちに健康に影響を及ぼす心配はないと」という政府や学者を批判。広島、長崎での肝臓ガン、胃ガンなど臓器被害は最大限に現れるのは医学的見地から何と2020年頃であると述べました。最後に「私たちが今、引き継がねばならぬのもは、原爆放射線被害の実相と反核平和を希求する心・魂・情熱」ですと訴えて講演をしめくくりました。
 続いて、京都城南診療所の医師三宅成恒さんが、「福島原発事故とチェルノブイリ事故との対比をして」との補足発言をしました。劇団京芸代表で俳優の藤沢薫さんが、被爆詩人の峠三吉の詩を朗読しました。(仲野良典)