関西電力などの原発15基(1基は廃炉中)が集中する若狭湾一帯。京都府に隣接するこの“原発銀座”の危険性が叫ばれています。若狭湾原発群ではいま、これまでにない変化が起こりつつあります。現場の変化をシリーズで追います。第1回は「原発労働者の変化」。

関電社員「美浜1号止めよう」

列をつくりバスに乗車

 午前6時半、福井県敦賀市のJR敦賀駅前。男性労働者が列を作り、大型、中型のバス、ワゴン車に乗り込みます。行先は敦賀半島の浦底、丹生、白木の各地区。日本原子力発電の敦賀原発(2基)、関西電力の美浜原発(3基)、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」と新型転換炉「ふげん」(廃炉作業中)の「職場」です。記者が話しかけると、「(原発のことは)広報を通してもらわないと話せない」と口を閉ざします。
 原発15基がある嶺南地域(敦賀市、小浜市、美浜町、若狭町、おおい町、高浜町)の中で、敦賀半島は7基を抱えています。同地域では労働者の約2割が原発関連で働いています。関電など電力会社は、原発労働者の行動や発言を徹底して監視。締め付けてきました。
 「だんなが美浜( 原発)に行っている」という50代の女性は、目線をそらしながら語り始めました。
 「敦賀はかつては観光が栄えていたが、今は原発以外何もない。(原発が)なくなると(生活が)やっていけない」「(原発のことは)だんなはいっさい話さない。私も聞かない。それが一番や」

原電の事故を共産党に通報

 「もしもし共産党ですか。原電の建設現場で鉄柱倒壊事故があり、救急車で人が運ばれている。死者があるかも知れない。夕方のテレビニュースに出てない。福井新聞に問い合わせても『そんな事実はない』と言われた」
 8月18日午後6時過ぎ、敦賀市の日本共産党嶺南地区委員会事務所に、男性から電話通報がありました。
 電話を受けた山本雅彦委員長(原発問題住民運動全国連絡センター代表委員)は「事故隠しだ」と直感。即座に敦賀市記者クラブに連絡し、調査・報道を要請しました。翌日の新聞各紙は事故を写真入りで報道しました。
 山本委員長は「会社側から日本共産党といっさいかかわらないよう強要されてきた原発労働者が、情報を寄せてくれました。原発問題を一貫して追及し、“やらせメール”などを暴露・追及している日本共産党に連絡すれば、握りつぶしたりしないだろうという信頼を寄せてくれている表れです」と変化を指摘します。
 原発労働者に取材すると―。
 敦賀市内の新興住宅地。現在、廃炉作業中の「ふげん」の元請企業で働く30代の男性は、庭先で周囲を見回しながら小声でつぶやきました。「実は、福島の事故が起きてから、被ばくの不安が募ってきた。特に子どものことが心配で…」。
 「気比の松原」に近い民宿街。かつての民宿は、原発関連企業の従業員宿舎のようになっています。美浜原発の2次下請企業で働く30代の男性は、「福島第1原発1号機の水素爆発は本当に衝撃だった。敦賀原発1号機と同じ炉型(沸騰水型マークⅠ)で不安になる。それ以上に、津波対策が甘いことが心配だ」とため息をつきました。

京都の運動と連携連帯して

 「いま定検(定期検査)中の美浜(原発)1号機は止めた方がいいと思う。運転開始から42年目になり、定検のたびに検査箇所が増えている」 美浜原発の管理部門で働く20代の関電社員は、こう言い切りました。
 福島第1原発事故後に行われた、関電、美浜町主催の住民説明会などでのやりとりが頭を離れません。住民たちが「原子炉の老朽化が心配」「地震、津波対策は大丈夫か」「『若狭湾は津波による大きな被害記録はない』と言うが、『天正大地震(1586年)』の津波被害を伝える文献がある。どうなっているのか」と次つぎと質問。住民の納得を得られる回答ができない関電側の対応に疑問を持ちました。
 この男性は言います。
 「住民の不安をぬぐえないまま、原発を続けていいのか。脱原発、太陽光など自然エネルギーへの転換を求める世論が高まっている。自然エネルギー開発の方向を探求した方がいいと思う」
 原発労働者、関電社員の変化について、前出の山本委員長は「『安全神話』にしがみつき、それを振りまいてきた電力会社や、その関連会社の労働者の中でも、このまま原発を続けていいのかという真剣な模索と探求が広がっている」と指摘。「雇用確保、地域経済再生の方策を示しながら、“原発からの撤退”という一致点での合意をつくる運動を、京都のみなさんとも連携、連帯してさらに進めていきたい」と話しています。(「週刊しんぶん京都民報」2011年9月4日付掲載)
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