シリーズ現場レポート若狭原発群 (2)住民の踏み切り
「今、声をあげないと」
周囲を見回し名前だけ記入
「原発をなくそう」─11日、JR福井駅前で、「原発問題住民運動福井県連絡会」が原発撤退を求める署名宣伝を始めました。
「署名しても大丈夫かな?」。敦賀市から来た20代の女性は、宣伝の前で一瞬、立ち止まりました。
敦賀市は、日本原子力発電・敦賀原発と日本原子力研究開発機構・高速増殖炉「もんじゅ」が立地。多くの市民が原発産業にかかわり、脱原発を表明する人は極めて少ないと言います。
「もし事故が起こったら家に住めなくなるし、子どもも生み、育てられないかも。原発はなくしてほしい」。女性は周囲を見渡し、知り合いがいないことを確認して署名しましたが、住所は書けませんでした。
1時間足らずの署名宣伝で集った署名は37人分。「子どもが被ばくしたらいやだ」「事故が起こったら家・故郷を失ってしまう」と老若男女が思いを込めました。
福島事故以降反応が変わる
宣伝に参加した日本共産党福井県委員会の金元幸枝書記長は、「福島事故が起こるまでは、原発問題を訴えても、原発にかかわる人が多い福井で反応は鈍かった。事故以降、『福井も人ごとじゃない。原発をなくしたい』という思いが広がっています」と言います。
同日のサヨナラ原発パレードには、多数の若い家族が固い決意で参加しました。
西田貴哉さん(35)=建築業=の家族3人は、小浜市から車で2時間半かけて駆けつけ、全員が脱原発の黒いTシャツを着てアピールしました。
小浜市は、原発が立地する高浜町・おおい町と、美浜町・敦賀市の間に位置。原発関連の仕事に従事する人が多く、表立って脱原発を訴えることは難しいと言います。
西田さんは「子どもや孫の世代に原発を残してはいけない。利害関係や仕事・お金と比べられるものじゃありません。今は声をあげないといけない。タブーを打ち破りたいんです」と語ります。
家族4人で集会に参加
福井市でタトゥー(刺青)ショップを経営する松田耕二さん(41)は、家族4人でパレード後の集会に参加しました。店頭など表立って脱原発を訴えることはありませんでした。松田さんは言います。
「福井の原発事故が起こったら京都を含め、日本各地に放射能汚染が広がる。子どもや住民の生活や命をないがしろにして、金もうけや大企業のために原発の運転を進める連中は許せない。バンド活動もやっているので、友人も誘って、福井から脱原発を訴えたい」(「週刊しんぶん京都民報」2011年9月18日付掲載)
「原発からの撤退を求める署名」用紙ダウンロード(10kb)