福島からの避難者が中村さんと訴え
5日夕、雨の中、伏見区東大手筋商店街の京阪電車駅頭で市長候補の中村和雄さんが、福島県から伏見区に子どもと一緒に避難している加藤裕子さんと街頭に立ちました。
加藤さんは被災の窮状と被害者に冷たい東電、国の施策の現状などを述べました。「私は福島原発から60キロほど離れた福島市から避難移住しました。事故で放射線量は毎時23.88マイクロシーベルトと表示されました。当時、私は放射能に関する知識はほとんどありませんでした。でも福島には住めないと判断して避難を決意しました。自主避難というのは国からも東電からも補償は一切ありません。だから、避難できずに被ばくしながら福島に住んでいる人がたくさんいます。この夏のこと、連日の猛暑の中、1人だけ長袖、長ズボン、マスク姿で登下校する女子児童がいたので、どうしてかと尋ねました。その女の子は『私は将来お嫁さんになりたい。元気な赤ちゃんも生みたい。だからどんなに暑くても我慢します』との返答で、私は涙があふれました」。
そしてこの京都市も若狭原発群から少ししか離れていなことにふれ、「可愛い子どもたちの未来のために、自分たちの希望ある社会のために、『勇気』と『信念』と『心ある』指導者を(市長選で)選んでください。『原発NO!』を発信する指導者に『YES!の発信』を」と呼びかけました。
中村さんは、先日福島の子どもに甲状腺機能の変化がみられたと発表されたことにふれ、京都や琵琶湖に近い若狭原発群の廃炉を主張し、脱原発と再生可能エネルギーへの転換の街づくり政策を主張しました。
また京都経済と雇用の落ち込みの実態を告発し、海外進出でなく京都市に本社を置く京セラ、オムロンなど国内や地元雇用の企業責任を果たさせるべきだと主張。行政として公契約条例や住宅改修助成などの制定で、雇用や働き方を変える政策の実現とともに、市民が自分の街のことは自分達で決めるという市政決定の仕組みをつくる必要性を強調しました。
約30分の街頭演説でしたが、歩みを緩めて聞く人、傘を差して聞き入いる人、手を振り拍手する人などがありました。(仲野良典)