ひと「岡崎公園と疏水を考える会」事務局長村瀬隆也さん(46)
40年間育った街・岡崎への愛着が原動力
午後8時すぎ。近所の女性ら3人が、村瀬さんの店に集まってきました。にぎやかな声が上がります。今年1月に住民が立ち上げた「岡崎公園と疏水を考える会」の事務局会議です。
京都会館から西へ100メートル。席数48席の広々とした店内の入り口には、会が取り組む署名用紙が置かれています。店は「会」発足以来、運動の拠点となってきました。
岡崎をいろてもうたらあかん
事の発端は1月、市の諮問機関が、発表した岡崎地域についての「中間報告」。同地域は、市や国の美術館、府立図書館などが並ぶ京都を代表する文化ゾーン。ところが、「報告」は▽民間活力や規制緩和で「再開発」▽京都会館を再整備する──という方針を打ち出したのです。市は以降、「報告」に基づく再開発計画(3月)、京都会館全面建て替え計画(5月)、同地域の高さ規制緩和(現行15メートルを最高31メートル)計画(7月)と矢継ぎ早に発表してきました。
「中間報告」を知った村瀬さんは怒りがこみ上げてきました。「景観そっちのけやないか。岡崎をいろてもうたらあかん。役所にどなりこみに行ったる」 そんな矢先、「報告」の問題点を学ぶ勉強会に誘われます。村瀬さんは、勉強会に集まった地元住民5人と相談して「会」を立ち上げ、事務局長を買って出ました。「会」は直ぐに、「岡崎の景観守れ」の署名や市への申し入れを開始しました。
かけがえのない宝もの
京都会館の保存を求める集まりで、村瀬さんが必ず話すのは岡崎の思い出です。
村瀬さんは岡崎に程近い左京区吉田の生まれ。母親が40年前、喫茶店を開業。当時小学生だった村瀬さんは、学校が終われば店へ直行し、岡崎公園や京都会館を遊び場にして育ちました。中学生ころには店の手伝いを始め、12年前に店を継ぎました。
岡崎には、家族の思い出が一杯つまっています。子どもの頃、父親と手をつないで散歩した疏水沿いの道。京都会館を背に、父親と2人、暮れゆく空を見たこと。美術館の裏庭で、家族そろってお弁当を広げたこと。母と妹と3人、おしゃれして京都会館前で記念写真を撮ったこと。
大人になって、喫茶店を切り盛りするようになってからは、京都会館は商売と切り離せない存在に。その一方で、建物の周囲はふらりと散策する場にもなりました。京都会館の中庭を抜けると目の前に広がる東山。伸びやかな景観が気分転換には最適の場でした。
母親は12年前に難病を患い1年前に他界。父親も介護が必要な体。もう2度と作れない思い出。
村瀬さんは訴えます。「みんな一人一人に、岡崎に思い出がある。その場所を壊さないでほしい」
「会」事務局の小岸久美子さん(63)は、村瀬さんの役割をこう話します。「私たち住民は最近、見慣れた京都会館の建築的価値を知りました。多くの人がそうやと思うんです。でも、その前に、京都会館と岡崎の風景が市民の宝ものになっていることを、村瀬さんは気づかせてくれたんです」。
10キロ減った体重
村瀬さんの毎日は多忙です。店の営業時間は、午前8時~午後8時。村瀬さんは、朝7時には開店準備を始め、店のかたづけが終わるのはたいがい深夜。その合い間に、父親を近くに住む妹と交代で世話をしています。
その上、「会」の仕事が加わりました。事務局会議や集会、シンポジウムの開催。「会」のブログの更新。午前2時、3時になるのはざら。「会」の署名をお願いした店の客は300人を超えます。体重は、半年で10キロ減ってしまいました。
村瀬さんらの頑張りが、世論を動かしてきました。日本建築学会、京都弁護士会など専門家団体が相次いで京都会館の保存を要望。映画監督の山田洋次さん、建築史家の鈴木博之・東大名誉教授、宮本憲一・大阪市立大名誉教授らそうそうたる文化人、研究者が保存を求める声明を出しました。
地元の誇りにかけて
来年1月。運動は正念場を迎えます。岡崎一帯の高さ規制緩和のための都市計画審議会が開催予定です。
店自慢のコーヒーは、サイフォンだての繊細でキレのいい味。村瀬さんの左胸には、難関を突破して合格したコーヒーマイスターのバッジが光ります。「これと思ったら頑固なんですわ。地元の人間の誇りにかけて、岡崎を守りたい」。岡崎への思い出と愛着を原動力に、たたかいを続けます。(「週刊しんぶん京都民報」2011年12月18日付掲載)