予知突出改め防災の観点を 橋本学・京大防災研地震予知研究センター教授に聞く
─「3・11」の巨大地震をどう受け止めましたか
地震直後の気象庁発表はM8.1で、推本(地震調査研究推進本部)が30年以内に99%の確率で発生すると予測していた宮城県沖地震(想定M7.5程度)が起こったのだろうと考えました。ところがどんどん数字が大きくなる。何が起こったのか、完全に分からなくなりました。予想だにしない巨大地震でした。
同じM9クラスだった2004年のスマトラ島沖地震では動いた断層の長さは1500キロです。日本海溝は500キロ。M9の地震が発生する余地はないという思い込みがありました。しかし、地震波などの解析結果を見るとプレート境界の滑りは50メートルでした。これだけの変位があればM9という大きさになりますが、いまだに信じられない。どうしてそれほどのエネルギーが蓄積されたのか。東北沖の地震は比較的よく分かっていると考えられてきましたが、結局まだまだ分かっていなかった。
「予知」で研究予算獲得
─「予知偏重」の批判をどう考えますか
戦後、日本の地震学は、1962年に研究者有志によってまとめられた「地震予知 現状とその推進計画」、通称「地震予知のブループリント(青写真)」という文書に始まります。これを受けて、政府の「地震予知研究計画」(1965年)がスタートしますが、すぐに「研究」の文字は外れ、「地震予知計画」となります。当時運輸大臣だった中曽根康弘氏が“「研究」では予算がとれない”と言ったとされます。実際、これ以後予算は大幅に増額されました。 1978年には大規模地震災害対策措置法(大震法)が成立し、東海地震の予知を目的に人、モノ、予算が集中的に投じられました。これが裏目に出たのが95年の阪神・淡路大震災でした。東海地震に重点を置いたために「関西には地震がない」という誤解を生んでしまいました。
予知偏重との批判はこれまでもありました。不確定な要素が多いことが分かった上で、地震予知の淡い期待を振りまき、多くの予算を獲得してきた面は否定できません。阪神・淡路大震災を契機に発足した「地震調査研究推進本部」(文科省)が、全体を統括しての研究の重点化や人員・予算の振り分けを行えていないことも大きいと思います。個人的には、不確かな直前予知に頼らない社会をつくることこそが必要だと考えます。
─地震学と防災との隔たりが指摘されています
「地震学を研究している」と言うと、防災の専門家のように受け取られることがありますが、実際には人間社会と切り離して、自然現象としての地震を対象とする理学的研究が中心です。地震学会にも工学畑で防災を専門とする方もありますが、あくまで少数派です。戦後の地震研究は、理学的研究は地震学会、防災などを考える工学的研究は土木建築学会と歩みを異にしてしまったため、防災の観点から何が必要かという議論がなされず、「地震予知」のみがクローズアップされてきたのが間違いでした。
原発無視の姿勢は駄目
─石橋克彦さん(神戸大学名誉教授)の「原発震災」の警告も異端視されました
地震学全体として、石橋先生のような踏み込みができなかった。今度の事故で、原発の異質さが明らかになりました。確率論で論じられないし、高い壁を造れば防災できるというものでもない。たとえ停止できても、使用済み燃料処理の問題が残ります。結局、後始末の方法は未確立のまま、造ってしまった。ドイツは将来世代への倫理的責任から原発廃止を決めた訳ですが、その論理は日本にも当てはまるはずです。地震学者は東海地震や南海地震を警告しておきながら、その地域にある原発には知らんふりでいいのか。地震学会としても従来のような姿勢では駄目だと思います。
─地震学はどう変わるべきしょうか
予知を含めて基礎研究は進めていくべきです。ただ、予算や体制を地震予知に突出させている現状は問題です。もうひとつの観点は、研究者は、自身の研究成果が行政サイドにどのように活用されているのか、それが研究成果の許容範囲にあるのか、常に確認することが求められます。社会の安全や住民の命に直結する研究分野であることを忘れてはいけない。そして、研究の到達として現状で分からないことは「分からない」と正直に説明しなければなりません。未来に対して何も言えない学問であれば、意味がないと思われるかもしれませんが、それを恐れてはいけないと思います。(「週刊しんぶん京都民報」2011年12月11日付掲載)