東山の馬町空襲を次世代に伝えたい 住民らが「語ろう会」
第2次世界大戦中に京都市東山区馬町であった爆撃から67年目となる16日、当時の様子を知る住民らが集まり、歴史の事実を次世代に語り継ぎたいと爆撃のあった東山小学校で「馬町爆撃を語ろう会」を開き、地元住民ら90人が集まりました。
馬町爆撃は1945年1月16日深夜、米軍のB29爆撃機が同町へ爆弾を約20発投下し、死者34人、負傷者56人を出した京都市内初の空襲被害と言われています。しかし、高齢化で体験者も少なくなり、被害の実相や資料を残したいと昨年末に地元住民らが「馬町爆撃を語ろう会」を結成したもの。
会では、爆撃を体験したり母親から聞いた人など15人が発言。「通っていた幼稚園に爆弾が落ち、用務員さんが亡くなった」「小学2年でした。その夜の空襲と疎開体験は忘れない」「飛行機が落ちたと思ったが外に出ると火の手があがっていた」など生々しい記憶が語られました。爆撃の衝撃で亀裂が入った縁側廊下の板戸と爆弾の破片を持参したのは石田泰和さん(63)。家は爆心地から80メートル北でした。ガラスは粉々になり、爆弾の破片が庭まで飛んできたと言います。「母は次がきたら命はないと覚悟したと話していました。役に立つことなら協力したい」と話していました。
会場では、堺市の羽衣国際大学の学生が製作したDVD「届けられた遺書─語り継ぐ京都の戦争」が上映されました。
「馬町を語ろう会」を呼びかけた酒谷義郎さん(77)はB29の飛行音に気が付き家族を起こしたと言います。「この周辺は住宅街で軍事施設も工場もなかった。そこへ平気で爆弾を落とすのが戦争。地震や津波は自然災害だが、戦争は人間がおこすもの。次代に戦争の悲惨さを伝え、二度と戦争をしない国を目指してほしい」と話していました。