石川啄木没後100年 閉塞に立ち向かう啄木 「週刊しんぶん」京都民報創刊50周年を記念した講演会「石川啄木没後100年 閉塞に立ち向かう啄木」が14日、下京区のしんまち会館で行われ、京都府内だけでなく大阪、兵庫、滋賀などの各県から歌人や研究者ら70人が参加しました。
 講演者は石川啄木(1886~1912)研究の第一人者の田中礼京大名誉教授で、昨年末まで20年以上にわたり京都民報社の「読者の文芸」の歌壇選者を務めました。
 田中氏は、啄木が詠んだ歌や執筆した評論などと啄木が生きた26年間の時代背景、戦争へと向かう時代の中にありながら、新しい社会への希望を見出そうと準備していた雑誌創刊の動きなどについて詳しく解説しました。啄木に対する「泣き虫、ぐーたら」との評価について、「決してそうではない」と指摘。韓国併合や大逆事件、特高警察の創設など国が戦争へと向かう中で、幸徳秋水ら社会主義者の影響を強く受け、またロシアの革命家・クロポトキンの著書を愛読するなど、「助け合いと連帯の思想を内部に築いていった」と述べました。
 そして、24歳で「時代閉塞の現状」を執筆、25歳で雑誌「樹木と果実」の創刊を決意していたことについて、「啄木は議会選挙を重視していた。普通選挙同盟会が発足し、平塚らいてうが青鞜を創刊するなどの中で新しい社会へ青年たちを先導することを目標にする政治雑誌を作ろうと実行運動を始めたいと思っていたのではないか」と閉塞の時代を打開しようと動き始めていた啄木を紹介しました。
 京都民報社の昼神猛文代表取締役・編集長が、田中氏の労をねぎらうとともに感謝の意を表してあいさつしました。
 講演会終了後、新日本歌人協会の大阪や京都支部のメンバーらによる田中礼さんの近著『啄木とその周辺 近代短歌史の一側面』(洋々社)出版を祝う会が開かれ、約40人が参加しました。