馬町空襲を語り継ごう 住民らが2回目のつどい
京都市東山区馬町で第2次世界大戦中の爆撃の歴史的事実を次世代に語り継ぎたいと活動している地元住民らが16日、同区の元東山小学校で2回目の「馬町爆撃を語ろう会」を開き、30人が集まりました。
馬町爆撃は1945年1月16日深夜、米軍のB29爆撃機が同町へ爆弾を約20発投下し、死者34人、負傷者56人を出した京都市内初の空襲被害とされます。高齢化で体験者も減っていることから、地元住民らが被害の実相や資料を残したいと今年1月に「馬町爆撃を語ろう会」を開き、情報を集めています。
この日の「語ろう会」では、爆撃当時、修道学区の伝令員だった石本喜代史さん(84)が爆撃当日の様子や本、新聞報道から分かったことなどを報告しました。
石本さんは当時17歳で、空襲警報が出たら町内に知らせに走る伝令でした。その日、警報はなく、飛行機の旋回音を聞いた直後に大きな音がして外に出たら火の手が上がっており、消化の手伝いに行ったことなどを語り、「死亡者の中に知り合いもおり、鎮魂の思いを込めて史実を調べ始めた。まだ名前も判明しない人や事実が確認できないことも多く、皆さんと一緒に史実を掘り起こし、後世に語り継ぎたい」と話しました。
参加者からは、京都空襲を記録する会で調査した男性や当時幼稚園児だった女性、京都女子学園で歴史学を教えている教授などから、死亡者名簿や爆撃写真の現在地などの情報が寄せられました。また、京都の空襲で記念碑がないのは馬町空襲だけだとして、記念碑の設立を求める声も出されました。
今後、資料収集やモニュメントづくりなどについて参加者有志で進めていくことが確認されました。問い合わせは酒谷義郎さんTEL075・561・7974/FAX075・561・6710。