宇治市長選(12月2日告示、9日投票)に立候補を表明した能塚たえこさん(67)は、同市の民間保育園・くりくま保育園の創立に関わって36年間、保育士、園長、理事長として携わってきました。現市政は府内最多比率の保育園待機児童や、独自の高齢者施策・敬老祝金などの廃止、府南部で最低基準の子どもの医療費助成など、問題が山積しています。能塚さんは、「子育て一番の宇治に」、「福祉の心で政治を」と訴えています。

保育園園長を31年 産休明け保育の先駆

 能塚さんは、くりくま保育園の園長を31年間務めてきました。同園では、「働く保護者が安心して預けられる」をスローガンに、保育士や保護者とともに話し合って保育をつくってきました。開園当初から民間園の先駆けとして、産休(当時、6週間)明け保育を実施しました。市の保育園認可基準が0歳6カ月以上で、産休明けに入所可能な保育園は公立保育所1園のみでした。ほかにも、延長保育や障がい児保育などを実施しました。障がい児保育では市へ保育士の加配制度などを求めて働きかけ続けてきました。
 71 年に長男(41)が誕生する直前から、保育園開設運動に関わってきました。同年には右京病院(現京都民医連中央病院)の看護師や地域住民らと洛西保育園を開設し、同時に資格を取得して同園の保育士に。さらに75年、転居先の府営西大久保団地(宇治市)で地域住民と「保育所をつくる会」を結成し、活動しました。地域住民と保育内容を検討する学習会を重ねながら、社会福祉法人を立ち上げて開園(76年)を実現しました。
 「子育て、福祉は私の原点。かかわってきた経験で、福祉の心を市政に入れたい」と決意を語ります。

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原発ゼロを国に主張 誰もが住みよいまちへ

 立候補には長女(38)の後押しがありました。東京都在住だった長女は、東日本震災後、放射能の影響をおそれ、孫娘2人を連れて城陽市に転居していました。長女は、「東京では子どもの医療費助成が中学校卒業まである。お母さんが子育て政策を訴えれば、若い人たちが投票してくれる」と応援してくれました。能塚さんは、「放射能の影響は保育園の給食でも気になっている。原発事故を受けて、『原発ゼロ』と国に堂々と主張できる市長が必要だ」と言います。
 現市政については、「保育園を積極的に増設せず、高齢者施策を切り捨てるなど、子どもや高齢者などの弱者を守る福祉の心がない」と批判しています。
 「21宇治市民ネット」が取り組み、2000通以上の返信が寄せられている市民アンケートの声を受けて、▽府南部で最低の子どもの医療費助成制度▽府内最多の保育園待機児童比率▽小中学校校舎の老朽化・改修の遅れと豪華な小中一貫校の格差▽府内一高い国保料――など、市民の暮らしと子育ての課題が深刻とのべ、「子どもから高齢者まで、福祉の心を行き届かせて誰もが住みよいまちづくりをしたい」と決意を語ります。(「週刊しんぶん京都民報」2012年11月11日付掲載)