「小異を認め大同を願う市民運動こそ」槌田劭さんが京都大学で講演 戦後の激動と自身の半生振り返り語る
「使い捨て時代を考える会」相談役で「キンカン」行動で脱原発を訴える槌田劭(たかし)さん(84)が、自身の半生を振り返る講演会「共生共貧による平和な世を―金主主義社会破綻を前にして」が1日、京都市左京区の京都大学構内で開かれ、市民ら80人が参加しました。アジェンダ・プロジェクト京都の主催。
槌田さんは、10歳で敗戦を迎え、高度成長期や大学紛争、ベトナム戦争など戦後の激動と自身の生きざまを重ね合わせて語りました。疎開先で玉音放送を聞き、「威張っていた人たちが実はインチキだったと思った」ことや、新憲法が発布された中学時代を含む数年間が「のびのびと学べた最高の時代」と述懐。朝鮮戦争の特需に沸く大人たちの一方で、隣国で血を流している現実に思いをはせ、薄っぺらい日本の豊かさと理不尽さを感じ、平和を願う気持ちが大きくなってきたと語りました。
原子力基本法が作られ(55年)、日本の政治が米国追従・従属へ変質すると同時に、お金で動く「金主主義」がはびこり、その結果として命の大切さを忘れ、公害や環境汚染が広がったと指摘。73年に設立した「使い捨て時代を考える会」で、ごみ公害と食品公害をテーマとして、古紙回収と手作りみそに取り組んだ経験を紹介。四国電力・伊方原発裁判(74~78年)では住民側証人を務めた体験から、社会での科学技術のあり方に疑問を持ち、京都大学工学部助手を辞したいきさつを語りました。
みそ作りで待つことの大切さを学んだと述べ、「つまり相手の立場に立つということ。運動をする時も考え方や生き方の違いを認め、手を携える。小異を認め、大同を願う市民運動が大事だと思う」と強調。そして、「今の政治や社会に絶望してみつつ、身の回りの生活から大地に足を付け、できることを着実に積み上げるしかないと思う」と語り掛けました。