家族の歴史に刻み込まれた戦争 戦没遺族が写真で語る 京丹波9条の会「ファミリーヒストリー」
京丹波9条の会は2月16日、京丹波町内で、「ファミリーヒストリー 京丹波戦没遺族者のはなし」を行い、町内外から約40人が参加。太平洋戦争で親族を亡くした女性2人が、悲しみや遺族の苦労を語り、二度と戦争は繰り返してはならないと訴えました。
同9条の会に参加する、松田愛子さんが代表を務める「ふるさと写真の会」が昨年までの2年間、旧質美小学校で古い家族写真を展示してことが企画のきっかけとなりました。展示された写真は、地域の祭りや家族との日常を捉えたものとともに、戦中の出征時に撮られた記念写真も多くありました。松田さんは、「 一人ひとりに家族との日常があり、戦中・戦後の大変な暮らしがあった。戦後75年を迎える今、あの戦争を記憶している世代が語り継がなければ」と、“ファミリーヒストリー”への思いを話します。
この日は、写真展にも協力した高橋八重子さん(70)が、家系図と家族写真を示しながら、7年前に88歳で亡くなった父・逸二さんの家族を紹介。逸二さんの兄は、結婚して半年後に出征し、長男の誕生を知らないまま、1944年にインパール作戦で戦死しました。「父が『兄が死んだところに行ってみたい。遺骨はまだ戻っておらず、まだ帰ってきていない』と話していたのが忘れられない」と涙ぐみました。
大西明美さん(74)は夫の父親が、1944年に35歳で再召集され、ニューギニアのビアク島で戦死したことを語り、「これからも戦争のない時代であってほしい」と話しました。
交流では5人が発言。父親が戦死し、戦後、施設に預けられたという女性は「父親のいない子どもには友達もできなかった。こんな思いはさせてはならない」と訴え。21歳で戦死した叔父の終焉の地(レイテ島)を訪ねたいという女性は、戦争を知らない世代だが、家族の体験を語り継いでいきたいと話していました。