芸術・文化は不要不急なのか 京都児童青少年演劇協会 中村さとし
心まで壊した新型ウイルス
新型コロナウイルス感染症が拡大し、国は緊急事態宣言を全都道府県に発した。「自粛を要請」とは奇妙な言葉だが、日本の法律がロックダウン(都市封鎖)や個人の行動制限を強制できないゆえに、為政者からの「お願い」との体裁になる。多くの人々はその言葉を受け止め、感染症拡大収束を願い、行動を律し、不自由さに耐えている。
一方「自粛」が長引く中で「差別」が報じられている。特定警戒区域を行き来する長距離トラック運転手の子どもたちに自宅待機を求めた愛媛県の小学校(4月9日東京新聞)、市民に「コロナを運ぶな」と罵られた配送業者(4月19日、NHKニュース)、感染した方の家への投石や落書き(4月20日、CBCテレビ)。ウイルスは生命・健康だけはなく人々の心を壊している。
社会生活維持に不必要と為政者
こうした現実を前に芸術が必要と痛切に感じる。芸術は分断された人々の心を繋ぐ力。私たちはそれを信じてきた。だからこそ舞台芸術に携わる人たちは苦悶する。劇場に人を集めること、舞台から台詞を発することが感染につながる。稽古のために劇団員が集まることも危険。これまでの方法で舞台芸術家は表現できない。人々の苦しみを前に、かつて体験したことのないジレンマに陥っている。その上、舞台芸術家たちは表現の存続はおろか、生存すら脅かされている。ステージをすべてキャンセルされた人。私費を投じて運営してきた芝居小屋の存続が危ぶまれ、生活の糧の確保すら見通せない人。その多くがフリーランスであり、孤独な生き残りを強いられている。
舞台芸術家を深く傷つけている為政者の言葉がある。緊急事態宣言にあたり国や自治体は「生活の維持に必要な場合を除き、原則として居宅から外出しないこと」、「生活の維持に必要なものを除く全てのイベント」を実施しないよう求めた。施設は「社会生活を維持する上で必要な施設」と「基本的に休止を要請する施設」に分別され、「劇場」は「社会生活を維持する上で」不必要と見做された。
権力が一方的に「生活の維持に」必要か不必要かをカテゴライズしてしまったのだと、私は捉えている。為政者の私たちの仕事に対するまなざしの正体を新型コロナウイルス感染症が明らかにしたといえないか。みんなもっと怒って良いはずだ。
芸術表現の存続と表現のあり方模索
ドイツの連邦政府の手厚いアーティストへの支援が注目されている。同国のモニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と断言したという。
日本には日本国憲法がある。第25条には文化的な生存が権利として謳われる。個人は尊重され、基本的人権は永久の権利として保障される、はずである。私は、舞台芸術に携わる1人として、憲法第11条「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という言葉を噛みしめたい。
それは、私たちを不要不急と断じる為政者たちと対峙し、生存と芸術表現の存続を補償させる努力と新型コロナウイルス感染症の拡大防止に向け、自らを律する努力。そしてこうした事態にあっても人々の心をつなぐ表現のあり方を模索する努力である。