被爆者救援・核兵器廃絶目指し50年 京教組女性部「6・9行動」核兵器禁止条約参加の政府つくろう
京都教職員組合女性部による清水寺境内(京都市東山区)での「6・9行動」(被爆者救援と核兵器廃絶を求める行動)が1月6日、開始からちょうど50年を迎えました。
現役の役員をはじめ、歴代の同女性部役員や退職教員、被爆者、宗教者ら約30人が参加。「『6・9行動』50周年 1月22日国連『核兵器禁止条約』が発効します」と書いた横断幕を掲げ、被爆者の悲願である「核兵器禁止条約」の発効を知らせながら、いまだに同条約に参加しない日本政府に対して、同条約への署名・批准を求める署名を呼びかけました。
小学生と幼児の子ども3人を連れて参拝した母親=青森県弘前市=は、「日本政府が核禁条約に参加する手助けになれば」と署名に協力。原爆投下後の長崎で撮影されたという写真「焼き場に立つ少年」とわが子の姿が重なると話し、「何度見てもつらい。子どもたちに平和な世界をと願う」と話していました。
「6・9行動」の開始当時を知る元女性部長の足立恭子さんは、「50年も続くとは思わなかった」と長年の労をねぎらうとともに、核兵器廃絶に消極的な日本政府を批判し、「政府の態度を変えるまで頑張らねば」と署名を呼びかけました。
同じく元書記長の高木政江さんは、長く続けることに「よく頑張った」と言えても、「おめでとう」と言えない行動だと述べ、「すべての被爆者の援護、国家補償を願います」と被爆者援護・連帯募金を訴えていました。
清水寺での「6・9行動」は、1971年1月6日にスタート。半世紀にわたって行動をつなぎ、この日で1297回を数えました。