苦悩しながらも歩み止めず 総合展示「さまよえる絵筆ー東京・京都 戦時下の前衛画家たち」 京都文化博物館で7月25日まで
戦時中、文化・芸術にたいする統制・弾圧が強まるなか、前衛画家たちがいかに各自の表現を模索したのか―当時の社会や文化状況を踏まえ、未公開のものも含めた作品約110点と資料で総合的に検証する展覧会「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」が7月25日まで、京都文化博物館(京都市中京区)で開催中です。
これまで戦時下の絵画研究は、「戦争画」に関するものが中心で、前衛絵画についての研究は多くありませんでした。美術界では、国家の統制・弾圧より「前衛絵画は絶滅した」との見方もあるなか、同博物館学芸員の清水智世、板橋区立美術館学芸員の弘中智子を軸に、前衛画家が東京と京都で地道に活動し、さまよいながらも絵筆を止めず、新たな展開を見せたことを紹介する意欲的な企画です。
前衛絵画は、第1次世界大戦後の反戦意識も反映し、これまでの既成概念を打ち破ろうと、欧米で生まれました。従来無意味とされてきた夢や無意識のなかに意味を見いだそうとするシュルレアリスム(=「超現実主義」)や、幾何学的な抽象絵画といったものが有名です。
日本では1930年代に隆盛を見、自由美術家協会(37年)、創紀美術協会(38年)、美術文化協会(39年)、新人画会(43年)などが次々結成されました。
ところが、一方で治安維持法により進歩的芸術に対する弾圧が強まります。1937年に内閣情報部が設置され、同年には日独伊防共協定が締結。41年、太平洋戦争開戦に進むとナショナリズムをあおる国策のもとで美術界でもイタリアのルネッサンスや日本の“伝統”に根差した、「古典」の紹介が奨励されました。
そこで前衛画家たちも前衛とは対照的な「古典」を隠れみのとし、テーマと表現を模索していったのです。
展示では、美術文化協会、新人画会、自由美術家協会、東北地方など「地方」にフィールドを求めた画家、京都の画家の活動などを柱に構成。西洋の古典絵画を思わせる技法で描かれた人物画や静物画、埴輪や仏像、地方の風景など、技法やモチーフを変化させながら、身近な「伝統的」モチーフを描くことで、人間や社会の深層を独自に探求していったことを写真、関連資料とともに概観します。
京都の活動については、愛知県名古屋市に生まれ9歳から京都に移り住んだ北脇昇と、現在の京丹後市大宮町に生まれた小牧源太郎の2人にスポットを当てて軌跡を追います。
北脇らが中心となり須田国太郎が指導的役割を担った独立美術京都研究所、同研究所有志で結成された新日本洋画協会の活動を点描するとともに、北脇・小牧が独立美術京都研究を退所し、創紀美術協会や美術文化協会の結成に参加したことを紹介。
さらに、33年に京大瀧川事件、37年には進歩的な新聞「土曜日」の発行人斎藤雷太郎や、同人雑誌「世界文化」の中井正一や新村猛、真下信一らが治安維持法違反容疑で次々と検挙、拘留される京都人民戦線事件が起こるなか、彼らと交流のあった北脇・小牧は身の危険を感じ、北脇は伝統建築、小牧は仏教などをモチーフに、苦悩しながら新たな展開を試みたことを検証しています。
「土曜日」や「世界文化」、前衛画家の作品が表紙を飾った俳句の同人誌「京大俳句」「学生評論」の現物も展示しています。
午前10時~午後7時半(入場7時まで)。月曜休館。一般500円、大学生400円、高校生以下無料(2階総合展示室と3階フィルムシアター入場可)。京都文化博物館TEL075・222・0888。