「京都ではほとんどの自民党国会議員と関係結び、支援」 90年代に統一協会広報部長務めた大江益夫氏が本紙に証言、8月に『懺悔録』が出版
「改憲党是の自民党を支援」「当落ギリギリの候補を押し上げることに全力を傾注した」
統一協会の広報部長を務め、今年6月に組織を退会した福知山市在住の大江益夫氏(75)が霊感商法や協会員への多額の献金強要などの違法行為について告白した『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(樋田毅・元朝日新聞記者、光文社新書)が8月末に出版されました。大江氏は、本紙の取材に応じ、統一協会=勝共連合による自民党の選挙支援の実態などを語りました。
福知山高校時代に統一協会に入った大江氏は、早稲田大学で統一協会の組織拡大に向けて活動。卒業後、開祖の文鮮明から直接指示を受ける立場でした。
1970年代から80年代にかけて統一協会の政治組織「勝共連合」の渉外局長やスパイ防止法制定促進国民会議総務部長、80年代には、統一協会が韓国と日本を陸路でつなぐ日韓トンネル建設計画の幹部、90年代は7年間広報部長を務めました。
『懺悔録』で大江氏は、霊感商法について「目的のためには手段を選ばない。それが大問題でした」「世間から叩かれて当然でした」と述べ、統一協会は、謝罪し、返金要求に応じるべきと述べています。
自民党との関係については、岸信介・元首相の協力で勝共連合が結成された(1968年)時から続いてきたとし、選挙協力についても長年行われてきたことを証言しています。本紙の取材に対して大江氏は、「他国の侵略に備え、自衛軍を持つため憲法改正を目指した。改憲を党是とする自民党を主に支援してきた」と述べました。
大江氏ら勝共連合は70年代、旧ソ連による日本への侵攻を真剣に危惧し、その対策として有事法制の整備を目指しました。「スパイ防止法制定」の運動を展開し、同法制定に向け、勝共連合が全国組織、各地方組織を設立するにあたり、自民党議員や右翼組織の協力を求め、岸信介氏に根回しを依頼したと言います。
同法案は85年、自民党のリベラル派などの反対で成立しませんでした。そのため、勝共連合は、改憲を正面に掲げ、自前の組織ではなく国会議員を通じて行う方針に転換。国会で発議ができるよう、衆院・参院で3分の2以上を改憲派が占めることを目指し、86年の衆参ダブル選挙から、自民党を組織的に応援するようになりました。
選挙支援の対象について大江氏は「我々は、当落ギリギリの候補を押し上げ、とにかく当選させることに全力を傾注した」と語ります。
勝共連合は、自民党幹事長、都道府県連会長と密接に連絡をとりながら、支援する候補を決定。支援する候補者とは、憲法改正などの政策協定とともに、「家庭倫理の向上」などを認める確認書を交わすことにしました。
「近年では二之湯元参院議員がパイプ役」
電話かけ、ビラ配りなど〝どぶ板〟に徹して支援したと言い、「我々は、経済活動でどれだけ断られてもやり続ける活動をしてきた。電話かけでも断られてからが始まり。嫌がられるまでかけ続けた」と大江氏。
京都では、「ほとんどの自民党国会議員と関係を結び、野中広務衆院議員(故人)の依頼をもとに勝共連合府本部が支援した」と明かします。近年は、二之湯智元参院議員がパイプ役になったと言います。「二之湯さんは、慶応大学の学生のときに友人から統一原理の講義を受けたと聞いており、親しい関係ができた」
大江さんは、長年にわたって支援してきたにも関わらず、統一協会との関係が批判されると、支援されたことなどなかったように逃げ回る自民党に失望したと言います。「自民党議員は『憲法改正』を口にするが、信念をもってやろうとしなかった。国をどうするかという政策や信念もなく、裏金問題で明らかだが、結局自分の利益しか考えていなかった。昔のように国民の生活を考える自民党議員もいなくなった。自民党はもはや解党するしかない」
「国民のために地道に活動している日本共産党の人たちの姿には頭が下がる」
大江氏は、高校時代、統一協会に入る前、1年ほど民青同盟で活動し、マルクスの『資本論』などを学んだ経験があります。
「今は、日本で格差が広がり、国民の生活は厳しくなっている。自由こそ人間の本質で、労働者を抑圧から解放しようとしたマルクスの思想には共感できる。考え方は違うが、自分たちの利益のためでなく、国民のために地道に活動している日本共産党の人たちの姿には頭が下がる。まずは、民主的社会主義の実現のため、頑張っていただきたい」と語ります。